世間が決めたいい山に登るだけが能ではない。当初は何も見えない景色の中に「自分の登るべき山」を見出し登頂するのが最高のキャリア能である。
後者は、医者になろうと思って医学の勉強をしていたが
薬学の研究のほうに興味が湧いて、結果的に新薬の研究者になったとか、
医者になったものの、文芸の才能に目覚めて小説家になってしまったとか
(例えば、北杜夫氏や渡辺淳一氏、マイケル・クライトン氏など)、
必ずしも計画的ではなかったが、当初とは違う選択が途中でひらめいて、
もがいて奮闘して、振り返ってみたらその道で食っていた、
そんなようなタイプのものです。
もちろんこの2つのタイプは、シロかクロかというものではなく、
誰しもこの両者の混合でキャリアをつくっていきます。
ですから、状況に合わせてこの両者の取捨選択や、
バランスをうまくとることが肝要なのです。
「意図的につくりにいく」キャリアに固執した場合の欠点として、
「俺はこれになるしかない!」といった絶対無二の目標を立ててしまうがゆえに
他の選択肢が目に入らなくなり、自分の才能を限定してしまう恐れがある、
または、いったん他の道に進んで、
そこから迂回して当初の目標に辿り着くという可能性をなくしてしまう、
などが考えられます。
図1は、そのことを表現したものです。
キャリア形成の途上、私たちの目前には、
月々日々、年々、大小さまざまな分岐点が現れてきて、
その都度、複数の選択肢が立ちます。
そして、あるものを選択して進んでいく。
あるいは、意思や努力に反してある方向に転がってしまう、そんなことの図です。
例えば、いま自分がA点にいて、
D点という山の頂を「意図的につくりにいくキャリア」として目指しているとしましょう。
B点までは何とかうまく来て、
次にC点に上ってゴールに到達したかったのですが、
そこで失敗をしてしまい、不本意ながらX点に落ちてしまいました。
ここでモヤモヤ、ウジウジとD点という夢が捨てられなくて
モラトリアム状態、夢を言い訳状態にして、時間を浪費してしまうことは
上に述べたとおり「意図的につくりにいくキャリア」の欠点になります。
しかし、そこで頭の切り替えをして、
自分の能力や価値観の再編成を行い、
他の活路を見出そうともがくとどうなるか。
―――その結果、Y点を経由して、
Z点という当初とは違う山の頂に上り詰めることも可能になるのです。
(そしてZ点を経由して尾根伝いにD点に行けるチャンスも芽生えるかもしれません)
そのときあなたは、遠くにD山を眺めながらこう思うでしょう。
「Zという山もまんざらではない。むしろこの山こそ自分が求めていた山だ」、
「C点を目指したときの失敗は自分には十分に意味があったのだ」、
「あの出来事は起こるべくして起こったに違いない」・・・。
この想いに立てたときこそ、まさにあなたは偶発を必然に転換し、
「結果的にできてしまうキャリア」を最大限のものにした瞬間です。
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【キャリアを開く/拓く/啓くということ】
2009.11.23
2009.10.26
2009.10.11
2009.09.25
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。