楽しみながら生きていく― 言葉で言うのは簡単、けれど実際には結構難しい。 教育にかかわりながら、どう子ども達に伝えていけばいいのか、自分の備忘録も兼ねて、フと考えたことを。
◆本投稿記事は、毎日更新中のZ会ブログ
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の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。
テレビをつけたら、たまたま歌手の一青窈さんが歌っている番組でした。
そこで紹介されたのは、カンボジア。
カンボジアの子ども達の映像とともに、「彼らのために歌を作りたいと思った」と語る一青さんがいました。
カンボジア、3年前に行きました。
カンボジア最後の日、湖のほとりで見た子ども達。
一生懸命、Tシャツや民芸品を買ってよ、と迫ってくる子ども達。
いくつか買った後、湖を去るとき、買わなかったお店の子ども達も全員一緒になってバイバイしてくれました。
なんだか笑顔と心地よい涙が出ました。
生きて、そして楽しんでいる、って、こういうことなのかな、と思いました。
そのときのことがフと脳裏に浮かびました。
チャンネルを変えるとスポーツニュース。
巨人の松本哲也選手と山口鉄也選手が映像で映し出されていました。
2人とも元気でした。
この2人、育成選手からのスタート。
一軍の晴れの舞台に立つまで、正規のドラフト選手に比べ、年棒的には辛い境遇の中、人一倍努力してきたに違いありません。
カンボジアの例と少しレベルは違うかもしれませんが、ここにも生きる、楽しむ、ということが感じられました。
2つの例とも
・自らが“絶対に”達成したいことがある、ということ
・厳しい環境に身をおいていること
(自分が希望する・しない、の違いはありますが)
という共通点があり、そんな中から「達成」した瞬間には、笑顔となるのでしょう。
そして、達成は、日々の努力を怠ると続きません。
だから日々、厳しい環境に置かれたままです。
だけど、きっと、日本人の多く―少なくとも僕よりは、心から「生きること」を楽しんでいる何かがあるような気がしました。
今の生活を送る上で、そこまでハングリーにならなくてもそこそこの暮らしができる、というのは幸せなことです。
だけど、その幸せに感謝の気持ちをたくさん、たくさんもっていなければ、「生きる」中で「楽しむ」ことをフと忘れてしまいそうです。
楽しむ、というのも、刹那的な楽しさではなく、間違っても「ラク」という意味ではなく。
ある人がいっていました。
100年に1度の不況と騒いでいるが、戦争終結からまだ100年経っていない。
食うものにも困ったあの当時より、今の不況が苦しいことなんてあるかっ。
TVではグルメ番組が溢れているというのに―
ごもっともです。
無理にハングリーな状況に身を置かなくてもよいとは思いますが、ハングリーになったときに「生きる」「楽しむ」という2つのバランス感覚を無意識に持ち続ける能力は、人間としてとても大事ですね。
楽しんで生きようぜ!という簡単な言葉で表されるものでもなく、
「前向き」という言葉で一括りに表されるものではなく、
「生きる」「楽しむ」
「 」で括り、2つの意味に心の中で自然と向き合いながら過ごせる人に、幸せは舞い降りてくるのかもしれません。
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