好景気の終わりvs大恐慌の始まり

2008.12.27

仕事術

好景気の終わりvs大恐慌の始まり

竹林 篤実
コミュニケーション研究所 代表

来年をどんな年と考えるか。終わりの始まりという言葉をよく聞く。たとえば「ネットが普及した今はテレビ時代の終わりの始まり」といった使い方だ。では現状は何かの終わりの始まりなのか、それとも何かの始まりの終わりなのか。

一方でアメリカ経済に対する自動車産業の影響力はあまりにも大きく、潰すことはできないという。オバマさんも断言している。だから倒産はさせないにしても、仮に激しいリストラをやらかしたらどういうことになるのだろうか。金を比較的持っている=使い手であった自動車関連で働く人たちが、金を使わなくなるリスクが考えられる。何百万人もいる自動車関連人口の消費意欲が下がれば、その波及効果もまた大きいはずだ。アメリカがデススパイラルに入る恐れも考えられる。

そのときアメリカの税収がどうなるのだとか、米国債はとか、ではドルの信任はどこまで下がるのだろうか。と、そこまで心配しなければならないような状況が、過去にあったのかどうか。1929年の大恐慌時代と比べて、状況は根源的に違う。そんな見方もあり得るだろう。

ちなみに日経27面には、次のような恐ろしいテキストもある。
「米国で当面の政策が奏功しないとどうなるか。<中略>仮に事態が好転しないなか、巨額財政支出とFRBによる国債買い入れのセットが継続されると、インフレが制御できなくなる予想が形成され、政策的に意図しなくてもインフレは起こる。だがそれは最後の、最悪の事態だ」

スタンスを決める視点の重要性

ここで問われるべきは、状況に対する見方だと思う。現状を「戦後最長景気の終わりの始まり」と捉えるのと、「史上初の恐慌の始まりの終わり」と意識するのとでは、何かが決定的に違ってくる。まず間違いなく腹の括り方が根本的に変わるはずだ。すでに本格的な恐慌に突入しているのだと認めるのなら、この先のさらに急速に悪化する状況に備えて直ちに動きだす必要がある。

そのときまず考えなければならないのが、熾烈きわまりない現状をいかに耐え抜くのか。売上激減を前提とした体制再構築が、超緊急の至上命題となる。現状を、身を縮めて時間が過ぎるの待つだけではやり過ごせない危機だと考えれば、取るべき対応は根本的に変わってくるだろう。ソニーのドラスティックなリストラ策は、その強烈な危機感の表れと理解すべきなのかもしれない。

と同時に、大恐慌にすでに突入したと認識していれば、次の転換点を血眼になって見つけようと動くだろう。すると変化の兆しにいち早く気付く可能性も高くなる。そのときに備えた次の一手を、今から用意できるかどうか。パナソニックがあえてこの時期に三洋を買収した背景には、大坪社長なりのビジョンがあるのではないか。

もちろん、すでに大恐慌に陥っているなどとは思いたくないし、実際にそうでないことを祈る。少なくともまだ一つ、アメリカにとっても世界にとっても希望の星が残っているのだから。これもまた歴史上初、米国の黒人大統領が来年早々登場する。しかもオバマさんは、まだ若い。若さに支えられたバイタリティに神の思し召しが加わったとき、奇跡が起こる。そんなことを思ったりもする。

が、それでもやはり今を「大恐慌の始まりの終わり」だと考え、来年の動き方を考えておいた方が良い。個人的にはそう考える。

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