「部下としての自分」ではなく、「役職者としての自分」の立場から見た考え方として、タイトルのようなものがあります。
本投稿記事は、毎日更新中のZ会ブログ
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の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。
自分が欲しい資料、欲しいデータ…その収集を部下に命ずることが(一般的に)ありますよね。
もちろん、そういった命令自体が必要なときもあります。
しかし、その命令が単なる「雑用」に過ぎない場合もあります。
上司としては、次の2点を踏まえておくことが大事ではないでしょうか。
1.そこで収集してもらったデータは、単なる自分の興味・関心のレベルではなく、次のビジネスの目標や目的に明確につながる戦略なり戦術なりを、自分なりに想定して「必要」と感じたものであること。
よく「思いつき」で「これ調べておいて~」なんていう上司、いませんか?
そこでいろいろ調べさせ、「その中に自分に必要なデータがあるかもしれない」程度に思っている上司。
言うまでもなくこれは最悪ですね。
こういう上司は、自分自身が勉強しない、だから自分自身が伸びていかない(得られたものだけを利用しているにすぎないので)、という結果を生むのは間違いありません。
2.データ収集の仕方を自らが把握していること
部下が収集したデータの数字をそっくりそのまま採用する上司も好ましくないと思っています。
※もちろん様々なやり取りの中で「信頼できる部下」と見抜いた上で(その部下が集めたデータを)「信じる」場合は別です。
このタイプの上司は、数字の根拠を説明できないので、突っ込まれると窮する。
もっと最悪な場合、数字が間違っていたら「なんでしっかり調べないんだ!」と怒る。
自分自身が調べることができない、にも関わらず。
この2点を抑えていれば、雑用を命じることそのものは「しょうがない」とは思います。
けれど、こういう雑用はできるだけ部下から取り除くようにするのが、本当の上司のやるべき姿。
だって雑用している時間は、本人の成長につながっていませんから。
やはりできる限り、部下は知恵を使って労働を組み立てる時間にあててほしいものだ、と考えるのが、いい上司ではないでしょうかね。
※もちろん、ときによって、「雑用の辛さを知る」ことも大事ですので、泥にまみれろ!というメッセージで雑用を命じることは良いことでしょうけど。
役職者は、目の前の課題を解決するのに部下を使うだけではなく、次なる人材を育てるための教育に、もっともっと時間を割いて考えるべきだと思う、今日この頃です。
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2008.12.20
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