「プロフェッショナル」の原義は、“profess”(=宣誓する)である。プロが宣誓をなくしたとき、それは単なる「○○屋」でしかない。
現代の資本主義下におけるビジネスで、
利益追求が悪だとか、利己主義が悪だとかを言うつもりは
私にはまったくありません。
ただ、プロフェッショナルを標榜する人たちはもちろん、
すべての働き手たちが
『ヒポクラテスの宣誓』にも似た
おおいなるヒューマニズムに基づいた仕事倫理、信条を思い描き、誓うことを
基盤行為としてやってほしいと願うのみです。
しかしながら、人間が我欲を抑えて
功利主義や保身主義にみずから抗することは、
時代を越えて難しいことかもしれません。
孟子は、
「義を後にして利を先にするを為さば、奪わずんばあかず」
(義を後回しにして、まず利益を追い求めるということになると、結局、人は他人のものを奪いつくさないと満足しなくなる)
と古くに説いていますし、
また、前回少し引用したマックス・ヴェーバーは、
1905年の大著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の末尾において
資本主義の興隆で跋扈し、うぬぼれるのは
「精神のない専門人と心情のない享楽人」であると予見しています。
しかも、ヴェーバーはこれら2種の人間たちを
“ニヒツ”(=無なるもの)と言い放っているところが、切れ味のある点です。
精神のない専門人が、プロフェッショナルとして多量になりすぎると
ビジネスは単なる「利益追求ゲーム」と成り下がり
夢と志に燃えてやっている人々が面白くなくなるばかりか、
経済が本来、“経世済民”として持っている
「民を救う」という使命・目的が喪失されてしまいます。
だから、私は、みずからのキャリア教育事業のプログラムの中で
『ヒポクラテスの宣誓』を引用し、
クラスで多少のディスカッションをするようにしています。
そして、何よりも、
まっとうな仕事の倫理・思想・哲学を持った経営者や働き手が
若い世代のロールモデルとして活躍し、
各々の組織文化として昇華させることこそ
嫌な潮流を変える大きな力になるものだと思います。
*参考文献
・ジョアン・キウーラ『仕事の裏切り』(中嶋愛訳・金井壽宏監修)翔泳社
・ヒポクラテス『ヒポクラテス全集 第1巻』(大槻真一郎編集・翻訳責任)エンタプライズ
・マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(大塚久雄訳)岩波文庫
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2007.06.28
2007.07.02
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。