ご縁がありまして、和田秀樹さんと2時間近くお話させていただきました。 その話、および和田さんの近著の中で紹介されているデータの話題から。
ただ、この「もちろん」が弁えられている若者…いや、若者だけじゃないですね、団塊Jr.前後まで含めて、弁えられている人がどんどん減ってきているような気がします。
傍目で「のんびり、気ままにくらしている」と見られている人は、他人には見えないところでしっかり努力しているんです(下記3で挙げることとも関係しますが)。
バランスの問題です。
「勝手気ままに」「好きなことやって」という時期・時間・タイミングがあってもいいのですが、やるときゃやる、その結果として「勝手気ままに」「好きなことやって」ということができるようになる…
「やるときゃやる」なくして「のんびり暮らす」ことなんでできやしません。
さらに言うならば、成功して、人の羨むばかりの富とゆとりを得ている人は、「のんびり暮らしたい」という人が「汗水たらす」という概念では捉えきれないほど「とーーーっても汗水たらす」ことをしている(してきた)のがフツウなのです。
この部分をしっかり、心の奥底で弁えておく必要があります。
2.「意欲がない人」を増加させない政策、そして、社会のムードづくりを。
自ら進んで低収入を選び、困ったときに生活保護を受けるー
生活保護世帯の増加、というデータを見る限りには、どうもそういう人も増えているようです。
テレビで「意欲がなくて働かない人」を見て、
「自分はあそこまでではない」
「こんな人が増えているようだけど私はこうはならない」
ーと、自分がそこそこ「やっていること」に比較優位を感じ、安心する…
これだけの気持ちにとどまっていませんか?
人ゴトじゃないんです、「意欲のない人」が増えていることは。
意欲のない人が社会に増えます。
当然税金から、その人たちに賄われる支出は増えます。
…もうこれ以上、言わなくてもわかりますよね。
意欲のない人の割合の増加が、「のんびり暮らしたい」と思っている人の得た収益を蝕む割合を高くする社会構造の出来上がりなのです。
個人的な肌感覚では、どれだけ「のんびり暮らしたい」と思っても、この割合が高くなって「のんびり」できない社会の状況まで、「このまま進めば」もうすぐ到来するような気がしてなりません。
もちろん、今からみんなが「変えよう」と思えば、まだまだ変えられる水準だと思っていますし、社会全体がそう信じていることが大切でしょう。
3.「幸せ感」の中に「汗水たらし努力すること」を自然に包含する国民の育成を。
上記1で、
「傍目で「のんびり、気ままにくらしている」と見られている人は、他人には見えないところでしっかり努力しているんです。」
次のページはたから見るとその人が「努力している」に当たる行為が、...
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