「ごめん」と言える謙虚さ、言わない真摯さ

2008.08.19

ライフ・ソーシャル

「ごめん」と言える謙虚さ、言わない真摯さ

寺西 隆行
(株)Z会

しばらくの間、妻子とともに実家へ帰省していました。ある日の夜、少し酩酊していた(僕の)親父がトイレから出るドアを開けた瞬間、そこに(僕の)子どもがいて 「ゴツン!」 と戸に頭をぶつけてしまいました。 ワンワン泣き叫ぶ我が娘。

◆本投稿記事は、毎日更新中のブログ
http://www.zkaiblog.com/histaff/
の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。

そのときの親父の対応。酩酊していたのも手伝って。

「あららーいたなんて知らなかったーわははー」
「おーいたいかいたいかーわははー」

そんな言葉を繰り返し、そのまま娘に「ごめん」の一言もなし。
さすがにこの出来事が起きている最中は、ちょっと腹が立って、親父を完全無視して対応していました。

頑固な親父です。
「人様に迷惑をかけるような人間になるな」ということを成長過程で叩き込まれたことには本当に感謝しています。
しかし、「頑固な親父」という仮面をかぶるときに捨て去らなければいけなかったのが、子どもに対して

「ごめん」

と口に出し、態度で謝る行為。
「頑固な父親」の中には、そういう方も結構いるんじゃないでしょうかね。
心の中では悪いと思っていても、「謝る」という行為に出れない方って。

ぱっとは思いつきませんが…
子どもの生育過程において、父親が言葉で「ごめん」と多く発すると、子どもが調子にのりつけ上がる傾向になることもあるような気がします。
威厳を保つ意味で、安易に「ごめん」と言わない姿勢も、時と場合によっては必要なことも多々あるでしょう。

でも、今の時代(というのもなんですが)、本当の意味で父親の威厳を保つには、「悪い」と思ったときに素直に「ごめん」と言える父親のような気がするんですよね。

60歳を超えた父親に、今更態度変容を求めるのは酷だと思っていますので、僕の方から強要はしませんが、いつか、僕がとっている態度で、「“ごめん”と言う勇気も大事では?」という僕からのメッセージをわかってほしいな、と思っています。

一方で、安易に「ごめん」という姿勢も、なんだか表面的に感じるときもあります。
つい先日、こんなことがありました。

お互いの理解の相違により、こちらは「当然やってくれるもの」と思っていたことが、先方にとっては「かなり無茶な要求」ととられたことがあったんです。
この理解の相違が生まれた過程の中に、「責任論」で言えば、どちらにも非はないような感じです。立つ位置の違いによる理解の相違があっただけで。

こんなとき、「(明らかに)それは良くないでしょ」という行為は、相手に責任があると思って一方的な口調で話すとか、その後の「理解の相違」を補おうとするためのコミュニケーションをとらないとか、そういうことだと思うんです。

次のページ「謝る」と、僕の方が(一方的に)悪いと思っているような...

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寺西 隆行

(株)Z会

文部科学省広報戦略アドバイザー 経済産業省「未来の教室」教育・広報アドバイザー 三島市GIGAスクール推進アドバイザー 等

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