従業員を食い物にする搾取企業はある。しかし他方、会社を食い物にする依存心どっぷりの従業員もいる。会社と従業員は所詮、キツネとタヌキの化かし合いなのか・・・
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小林多喜二の『蟹工船』が今再び売れているというので、読んでみた。
確かに、その過酷な労働現場の描写や人物の表現は
息詰まるほどリアルなイメージを呼び起こす。
搾取する側(=資本家)と搾取される側(=労働者)の単純明快な対立構図、
そして最後のダメ押しとして、国家権力が資本家側につくというオチ。
まさにプロレタリア文学の直球作品ですが、確かに、
「俺達には、俺達しか味方が無えんだ」――――
小説の最終部分に出てくる労働者のこの悲痛な叫びは、
そのまま、現代のある層の労働者にも当てはまる吐露でもあるように思えます。
『蟹工船』しかり、また『女工哀史』しかり、そこで描かれているように
資本家が“雇用”をある種の権力にして
経済的弱者である労働者の生殺与奪を握り、彼らを使い回すことは、
古くて新しい問題です。
◆資本家・企業家は必ずしも人格者ではない
これは、悪徳資本家を追放し善良な労働者を守れというような
単純に階級闘争の図式に落とし込めばよい問題ではありません。
これは、誰の中にも潜む人間の欲望のコントロールに関する問題です。
私たちが認識すべきは、
資本家や企業家、経営者が、必ずしも聖人君子、高邁な人格者でないことです。
(これは同じように、労働者も、必ずしも聖人君子、高邁な人格者ではない)
私はビジネス雑誌の編集を7年間やり、
さまざまな企業人を直接インタビューするなどして観察してきましたが、
彼らはむしろ我欲、自己顕示欲の強い俗人であることがほとんどです。
人間のバランスとしては(良くも悪くも)歪んでいます。
歪んでいるからこそ、それがパワーとなって成功を得るわけでもあります。
(利益獲得競争のビジネス世界では、バランスのいいお人よしは成り上がれない)
そして、成功してカネやら既得権益やらを手に入れると、
ますます欲望が増長して、暴走する可能性を大きくする。
マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で
「精神のない専門人、心情のない享楽人」と表現しているのも、
まさに資本主義ゲームの盤上で我欲を増長させ跋扈する不逞の輩のことです。
渋沢栄一や松下幸之助、本田宗一郎といった
どこまでいっても自ら抑制の利く哲人企業家は極めて例外的な存在でしょう。
◆私欲を暴走させない方策
ならば、不当な過酷労働、不幸な労働者搾取はどう防げばよいか―――?
自律的な処方箋としては、
資本家や企業家、経営者自身が高い理念、倫理観を抱くこと。
そして企業も、組織理念の中に従業員主役の思想を抱くこと。
(労働組合のスローガンとは異なる角度で)
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2010.03.20
2015.12.13
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。