「キャリアデザイン」なる概念が矮小化する流れにあるように感じる。そこに「プロフェッショナルシップ」という新概念を持ち込んで、キャリア教育について少し考えてみたい。
おそらく、この核心部分に迫っていかないモヤモヤ感が、一種の不満感となり、
先の人財育成担当者たちの声になっているのではないでしょうか。
「キャリアデザイン研修」なるものは、いま、
お手軽な「キャリア教養講座」へと拡散してしまっているように私には見えます。
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◆「つくりにいくキャリア」と「できてしまうキャリア」
「5年後のあなたはどうなっていたいですか?」、
「5年後のキャリア目標とその実行プランを立ててみましょう」―――――
キャリア研修でよく行なわれるこの手の質問やワークは、有意義ではあるが、
使い方によってはまったく意味のないものになる。
確かにキャリア形成は、計画を立て、そのとおりに進めていくのが大事である
という面があります。
しかし、キャリア形成は、人生という旅の一部であり、
旅には不測の出来事や想定外の道にはずれることが往々にして起こるように
そう易々と計画し得る営みではない。
計画し得ないからこそ、人生は奥深いし、面白い。
人生から、偶発による“ゆらぎ”の作用をなくしたら、
それは初速度と打ち出し角度の数値さえ与えれば、計算によって着地点が決まる
物理運動になり落ちてしまう。
私は、キャリアづくりはJAZZ音楽に似ていると思っています。
JAZZ演奏は、即興性を基とするがゆえに、
一瞬先の空白の未来に向かって、一音一音、
演奏者が全身全霊を込めて仕掛ける、その連続により曲が成立します。
JAZZの名演奏というのは、
その日の演奏メンバーの調子と聴衆のノリが見事に反応し合った場合に、
“結果的”に生じます。
JAZZにおいては楽譜どおりに演奏しても何も面白くないのです。
個々のキャリア形成も同じです。
そこには、「意図的につくりにいくキャリア」と
「結果的にできてしまうキャリア」の両方の面があります。
もちろん子供の頃に「宇宙飛行士になりたい」とか「医者になりたい」とか、
具体的に夢や目標を立てて、着実にその進路上で駒を進めていく人たちはいます。
しかし、同時に、
「当初Aの山を目指していたが、登っているうちにBの山になっていた。
Bの山もまんざらではないよ。
でも、もしかしたらこの先、また別の山が見えてくるかもしれない」
という人もいます。むしろ、こちらのほうが世の中では多数でしょう。
Bという満足のいくキャリアの山を登り当てた人にとって、
過去にいくら自己分析をして、キャリアのプランシートを書かされたとしても、
B山の「ビ」の字も出るはずがなかったでしょう。
B山というキャリアは、意図的につくりにいったものではなく、
むしろ、結果的にそうなってしまったものだからです。
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【6景】セルフ・リーダーシップ
2008.06.10
2008.05.12
2008.05.12
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。