「働くこと」に対し、「適当に・そこそこでいい」という冷めた就労観が蔓延・沈殿してきている。それに対する私の答えを寓話で紹介したい
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まずは、
私がいま企画中の次回著作のために作り起こした寓話をひとつ。
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むかし、あるお寺の和尚さんが、2人の童子を呼び、こう言いました。
「本堂の裏に蔵があるじゃろ。
実はあの蔵の中に、大事な宝物が代々保管されておる。
その宝物が何か、ひとりずつ、蔵に入ってみてくるがいい。
しかし蔵には窓もなく、昼間でも中は真っ暗じゃぞ、気をつけてな」。
まず1人めに、青の童子が蔵に入っていきました。
蔵の中は、和尚さんの言ったとおり、真っ暗で何もみえません。
しかし、目の前に“何か”があることは気配でわかります。
具体的に何であるかは見当がつきません。
そのとき、童子の足裏に、枝の端くれほどの木片が触れたので、
青の童子はそれを拾い上げ、
目の前の“何か”をたたいてみました。
カラン、カラン・・・ カラン、カラン・・・
青の童子は蔵の中から出てきて本堂に戻り、こう告げます。
「なんだ和尚さん、あれは“鍋”か“やかん”ではないですか」―――――
* * * * * *
次に、赤の童子が蔵の中に入っていきました。
そのとき、赤の童子も真っ暗闇の中、足裏で触れた木片を拾い上げ、
目の前に感じる“何か”をたたいてみました。
カラン、カラン・・・ カラン、カラン・・・
赤の童子はさらに、しゃがみこんで足元のまわりを手で探ってみました。
クモの巣やら、ほこりやらをかぶりながら
頭をどこかにぶつけながら、はいつくばって手を伸ばしていくと、
今度は重い丸太のようなものが手に触れました。
その丸太を持ち上げ、
童子は目の前の“何か”を力いっぱいたたいてみました。
ゴォーーーーン。
赤の童子は本堂に戻り、和尚さんにこう言います。
「あんな立派な“鐘”の音は聞いたことがありません」―――――と。
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この寓話をつくろうとした動機は、
私が企業研修の現場で感じる
最近の受講者(=従業員・働き手)たちの「働くこと」に対する
冷めた姿勢があります。
私はこれまで、働く人たちをある軸で分けるとすれば、
次のような感じかなと把握していました。
ところが、実際、企業研修の現場でいろいろ観察してみると、
この4つのグループには属さない
第5のグループが大きく居座っていることに気づきます。
第5のグループとは、
ときに忙しく働いたりもしますが、基本的には多忙を嫌い、
ときに自発的に働くこともしますが、基本的には依存的に働く。
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2010.03.20
2015.12.13
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。