個々の人間、個々の企業、個々の国が、みずからの利益や快楽を最大化するように無分別に動き、負のコストを外部化するといった形の繁栄は、いよいよ無理がきています。そうした動きを外的な規制や法律で対症療法的に済ませること以上に、1人1人の「内なる律」による軌道修正が必要になってきているのではないか───そんな観点から、あらためて「成長」ということ、「仕事・事業における精神性」というものを考えてみたいと思います。
欲求満たしから欲望満たしへ。これは言ってみれば、自分の能力を「数量の獲得」に使う生き方です。資本主義という経済システムはこの生き方と相性がよく、多くの人はこの一本道をひた走る/走らされることになります。
しかし中には、自分は「数量の獲得」のみに生きる存在ではないと感じる人もいます。その人は欲を祈りに変換していく人かもしれません。そこには能力を「誓いの成就」に使う生き方があります。
樹木のいのちと引き替えに創造を行うことの心の痛み
さて、祈りや誓いを伴った働きぶりとはどういうものでしょうか。ここにその2人を紹介します。
西岡常一さんは1300年ぶりといわれる法隆寺の昭和の大修理を取り仕切った宮大工の棟梁です。彼が材料となる樹齢1000年超の檜(ヒノキ)について触れたのが次の言葉です。
「これらの千年を過ぎた木がまだ生きているんです。塔の瓦をはずして下の土を除きますと、しだいに屋根の反りが戻ってきますし、鉋をかければ今でも品のいい檜の香りがしますのや。これが檜の命の長さです。こうした木ですから、この寿命をまっとうするだけ生かすのが大工の役目ですわ。千年の木やったら、少なくとも千年生きるようにせな、木に申し訳がたちませんわ」。───西岡常一『木のいのち木のこころ 天』より
次にもう1人は染織作家で人間国宝の志村ふくみさんです。淡いピンクの桜色を布地に染めたいときに、桜の木の皮を剥いで樹液を採りますが、春のいよいよ花を咲かせようとするタイミングの桜の木でないと、あのピンク色は出ないのだと言います。
「結局、花へいくいのちを私がいただいている。であったら裂(きれ)の中に花と同じようなものが咲かなければ、いただいたということのあかしが……。自然の恵みをだれがいただくかといえば、ほんとうは花が咲くのが自然なのに、私がいただくんだから、やはり私の中で裂の中で桜が咲いてほしいっていうような気持ちが、しぜんに湧いてきたんですね」。───志村ふくみ 梅原猛対談集『芸術の世界 上』より
これらの言葉の中には、生命(いのち)に対する慈しみや、それを断つことへの痛みがあります。抗しがたく湧き起こってくる創造欲を祈りや誓いに変換している表現者の姿があります。
こうした仕事の中の祈りや誓いは、職人や芸術家など、ごく一部のものだととらえる向きもあるかもしれません。また、祈りや誓いといったようなフワフワした観念を現実のビジネス競争の中に取り込みことは、足手まといとなり、事業の存続や雇用の継続に悪い影響が出るといった意見もあるかもしれません。しかしその考え方がまさに「知・情・意」のバランスを失った思考状態です。
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2015.07.17
2009.02.10
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。