個々の人間、個々の企業、個々の国が、みずからの利益や快楽を最大化するように無分別に動き、負のコストを外部化するといった形の繁栄は、いよいよ無理がきています。そうした動きを外的な規制や法律で対症療法的に済ませること以上に、1人1人の「内なる律」による軌道修正が必要になってきているのではないか───そんな観点から、あらためて「成長」ということ、「仕事・事業における精神性」というものを考えてみたいと思います。
私たちの活動は本来、人間の根源的な精神のはたらきである「知・情・意」の3つが深く融合し、相互に牽制しあうことで健全な活動となりえます。ところが昨今は、功利を過剰に追う「知」と、快楽を際限なく求める「情」とが組み合わさり、バランスを大きく崩しています。知・情・意が偏り歪んだ状態で欲せられる成長は、よからぬ暴走を生みます。そして実際、成長信仰がもたらす負の結果に多くの人が気づきはじめました。
「成熟」の人は健やかな意志に基づいて「あえてそれをしない」
そんなときに大切になってくるのが、「成熟」というありようです。成熟した人は「できるのに、あえてそれをしない」「選べるのに、あえてそれを選ばない」「もっと取れるのに、あえてそれ以上取らない」ことをします。さらには、待つこと、捨てること、離れることができる。それらは、決してやせ我慢などではなく、健やかな意志からくるものです。東洋の思想が教える「断捨離(だん・しゃ・り)」や「知足(ちそく)=足るを知る」は、まさにこの成熟した精神の振る舞いを言ったものです。
自制は人間形成のひとつの深化プロセスです。自制は禁欲であり、ガマンであり、成長を逃す野暮な態度であるという見方もありますが、それは狭い見方です。「成長への強迫観念」を超えて、勇気をもって自制を行うと、しゃかりきになって何もかもを増やさなきゃいけない、伸ばさなきゃいけない、そうする自分が格好いい、そして周囲から認められたいという固執からむしろ解放されるでしょう。それは自分の気持ちを落ち着かせ、別次元からの深い知恵と決意を生むことにつながります。
1人1人が、組織全体が、社会全体が、自己の内に「成熟」を呼び込めるか、ここがコロナ後の世界をつくっていくひとつの分岐点になると言ってもよいでしょう。
人の精神性は「欲する」中に最も表れる
その人のこころのありようや性向を「精神性」といいます。「高い精神性が宿る作品だ」「その仕事には精神性が感じられない」というように、私たちが仕事や生き方に対して精神性を言うとき、暗黙のうちに崇高さや厳格さ、品位、霊性といったものを問うています。
人の精神性は「欲する」中に最も表れるのではないでしょうか。下図に描いたように、「欲する」には、量的・質的に増していく方向と、理念的に昇華していく方向があります。精神性は欲求や欲望には宿ることなく、祈りや誓いに宿ります。
身体にせよ、生活・社会にせよ、生存のための不足・欠乏が起こると、私たちは最低限必要な量・質を求めます。それが欲求です。動物は必要分を満たしたら欲求をやめます。しかし、人間は「もっと、もっと」となります。これが欲望です。
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2015.07.17
2009.02.10
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。