/マンガでは、悟性認識による対象の同一性が優先されてしまう。そして、対象を同一であるとしてしまったために、時空間の方がずれた、と感じられる。/
どういうわけか、赤いスーツの男が前に飛び出る。しかし、よく見ればわかるように、この二枚の絵は、じつは同じもので、人物の色を塗り替えただけだ。どうして、2人が着替えた、とは考えず、移動した、と思うのだろうか。
これは、哲学的に重要な認識錯覚の一種だ。一般には、カントの言うように、我々は、感性形式、つまり、絶対座標となるべき時空間の中で対象を認識しており、同じ場のものが同じものであるとされる。別の場なら、別のものだ。(ライプニッツの同一性原理も参照せよ。)ところが、マンガでは、悟性認識による対象の同一性が優先されてしまう。そして、対象を同一であるとしてしまったために、時空間の方がずれた、と感じられる。
つまり、赤いスーツの男が同一である以上、次の絵で、同じ時、同じ場所にいないのはおかしい。それで、前の絵から次の絵へは時間と場所が変わったにちがいない、とかってに納得して認識する。
知ってのとおり、アニメーションは仮動原理に基づくが、マンガはこのように仮同原理に基づいている。マンガがキャラクターなしに成り立たないのも、このためだ。
哲学
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。