ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。 さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してみましょう。 朝晩はしのぎやすくなってきたものの、日中はまだまだ蒸し暑さが続きます。生鮮食料品を保管するにも、スイカやビールを冷やすにも、冷蔵庫が欠かせません。 昔はスイカやビールは井戸に沈めて冷やしていたといいますが、いまでは四季を通じて電気冷蔵庫なしの生活は考えられないでしょう。 今回は前回の洗濯機に続き、同じ「白物家電」と呼ばれる電気冷蔵庫のお値段の変遷を見てみましょう。
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電気冷蔵庫──昭和5年時の値段は200万円以上!
食品の冷蔵保存は古くから行われており、冬の間に池に張った氷などを切り出しておいて、洞窟などの冷暗所(氷室/ひむろ)に保管し、それを夏に使う方法がありました。
この方法は日本最古の正史『日本書紀』にも記録が残っています。長らく宮廷や将軍家などしか使えないものでしたが、江戸時代にはある程度普及したようで、氷で冷やした水を売る商売もありました。
一方、19世紀のアメリカで、木製の箱に氷を入れた「冷蔵庫(冷蔵箱)」が発明されました。
その後、化学的に冷却する方法が開発され、1910年にはアメリカで電気冷蔵庫が商品化。大正時代からアメリカの製品が日本にも輸入されていたようですが、国産の電気冷蔵庫の発売は1930(昭和5)年のことで、お値段は720円でした。
いつものようにかけそば一杯のお値段を基準にして720円を計算すると、現在の金額では200万円以上したようです。
もっともこの金額は、当時家が1軒建つといわれていたほどの金額です。そのため、上流階級または高級レストランでなければ購入できるような代物ではありませんでしたが、昭和12(1937)年には全国で1万2000台まで普及したという数字が残っています。しかし、戦時体制となったことで、冷蔵庫の生産は中止されます。
戦後やや値段は下がったものの、それでも50万円以上に
戦後、冷蔵庫の生産は再開され、市販化されるようになるのは昭和30年代に入ってからのこと。昭和35(1960)年に発売された85リットルの電気冷蔵庫のお値段は6万2000円。大卒の初任給の平均が1万6115円の時代ですから、現在の感覚としては50万円以上したということになるでしょうか。
ちなみに、まだ日本では木製の「冷蔵箱」が使われていて、昭和28(1953)年のヒノキ製の冷蔵箱のお値段は8500円。これでも10万円以上の感覚であったと思われます。昭和30年代まではまだ上部に氷を置く木製冷蔵箱のほうが主流でした。
電気冷蔵庫が普及し始めるのは昭和30年代の終わり頃で、昭和39(1964)年に一般家庭への普及率が50%を超えることになります。
昭和30年代の終わりといえば、昭和39(1964)年にオリンピックが開催され、庶民の憧れだったテレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫は家庭の「三種の神器」と呼ばれた時代。
ときを同じく、日本の大動脈・東名高速、夢の超特急・新幹線が開業。時代は、高度経済成長まっただ中にありました。
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