新年度がスタートして半月以上たちました。新入社員でなくても、この時期ならではの役割に、なかなか自分自身で要られにくい時期でもあります。 忙しさから疲れるのも、身体の疲れだけでなくこころの疲れかも。こころの面に気づきにくいのは、自分に戻る時間が少ないからかもしれません。 そこで仏教哲学を交えて、自分の心の面に気づくヒントを書きました
これは、私たちがこの世界で見ているもの(色)は、実体などない(空)のだ、と言う意味です。
また実体がない(空)が、私たちは何らかの現象(色)として見ています。
言い換えれば、見る視点によってその現象の捉え方は変化します。
自分と他との関係性で意味は変わってきます。
ですから、実体などないのに「何か実体があるかのように錯覚しているのだ」と意識が変われば
自分がとらわれていた「理想像などの、実体はない」と思えてきます。
「こうあるべきだ」「こうでなくてはならない」と思うと、理想の形を求めすぎて辛くなります。
自分ができていないものに「執着」し、苦しくなります。
本来、実体が無いものを求めるのですから、手に入りません。
よく思考は現実化する、起こっていることは自分が望んだことと言いますが、それは相対的に導いてしまったからです。
無いものにフォーカスしているから、現実化しません。しかし、自分がダメダメな面は、どんどん現実かのように現れてきます。
では、理想を求めて努力しないほうがいいのか、と誤解を生むのですが、そういうことではありません。
後で書きますが、努力のベクトルが違うのです。
◇ 「こころの疲れ」を招くのは…
さて、何が「執着」を生むのでしょうか。
理由は人によって様々ですが、自分の中の虚ろな部分を、何かで満たそうとしている場合。
多くは、無意識に行っています、
虚ろさは、孤独感であったり、自信のなさであったり、不安や恐れへ形を変えていることがあります。
なぜ虚ろなのと言うと、そのカギは「愛」にあります。
それは誰かに愛されるという事以前に「自分が自分に愛を与えているか」が大きなポイントです。
自分にダメ出しをするほど、自分が自分に愛を与えられない状況になります。
数年前に「ありのままで」の歌詞の歌がありましたが、共感した人も多かったでしょう。
あれは周りの人の期待に応えること、期待された理想像を演じることをやめて、自由に生きることを選んだ歌でした。
その選択ができることは、自分を愛することにほかなりません。
「他者から自分がどうみられるか」や「しがらみ」を軸にして動いていると、本当に疲れます。
過剰に外側の人たちが自分を「承認」してくれるか、評価してくれているかに軸を置くと「こころが疲れる」からです。承認や評価は、自分に足りない愛の代用なのですが。
自分の方が、周囲をどう関わるかにベクトルの向きを変える選択をすると、違ったものが見えてきます。
先に努力のベクトルが違うと書いたのは、このことです。
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2015.07.17
2009.10.31
一般社団法人フラワーフォトセラピー協会 代表理事
こんにちは。内藤由貴子です。花の写真でストレスを作る感情を分析、心理診断を行い、さらにその解消まで行うフラワーフォトセラピーのセラピストです。INSIGHTNOWでは、異色な存在かもしれませんね。このセラピーの普及のため、一般社団法人フラワーフォトセラピー協会を設立、講師の養成、セラピストの紹介を行っています。自身、色を使うオーラソーマ®をはじめ、セラピストとして16年あまりのキャリアです。このINSIGHTNOWでは、こころをケアに役立つようなコラムを書かせていただきます。よろしくお願いいたします。