遅ればせながら電波腕時計を買った。それを機に、少し「時間」というものについて雑考してみた。
腕時計はどちらかというと、クラシカルな手巻きや自動巻が好きで、1分2分ぐらい日によって時間が狂うぐらいの愛嬌のある物の方が好きだ。しかし、新しく作った企業研修のプログラムは、短い時間の刻みでワークの指示を出す設計にしてしまったので、ストップウォッチ付きのとにかく正確なやつが必要だったのだ。
電波腕時計は1995年にカシオが発売したのが最初なので、今回買ったのはその末裔にあたるようだ。時間の正確さを尊ぶ国民性からか、正確な数字はわからないが日本は世界でもダントツに普及しているらしい。大勢の人の腕で、ほとんど狂いなく、同じ時を刻む時計。それこそが価値なのだけれど、なんだか少し気持ちが悪い気もする。
土曜日の日経新聞の記事。ゲーム機Wiiの快進撃を阻む物は何かというと、ソニーのPS3でもマイクロソフトX-BOXでもなく、PCや携帯を意識しているという。そして、何より生活者がゲームで遊ぶことに時間を振り向けてくれるかが一番問題だとの主旨だった。確かに今日の生活の中では「時間がない」ということばかりだ。ひたすらゲームにに熱中する時間を取れる人も、そう多くはないだろうと思う。何度も自分のBlogやコラムで書いているが、今のビジネスは、生活者の財布の中の可処分所得を取り合うのではなく、可処分時間の取り合いなのだから。
とはいえ、もう少しだけ誰しもゆとりを持って暮らせないかと考えてしまう。
電車やエレベーターを降りるとき、最近感じるのだが、昔より乗り込んでくる人のタイミングが早くなっていないだろうか。まだ動作が鈍くなるほど老いてはいないので、確かに早くなっているのだと思う。降りる人がきちんと全員降りてから乗る。幼稚園で習うことだ。「待てない」人が増えているのではないだろうか。世の中からどんどんゆとりが消えているように思う。
あるBlogで、面白い記事を見つけた。
大阪弁では忙しい、落ち着かないを表わす「忙しない」を二つに分けているようだ。『せわしない(忙しない)』『イラチ(苛ち)』。その二つの違いは「イラチは、体はここにあっても、気ぃがここにない人。せわしないは、ちゃんと話は聞いてくれる」だそうだ。
何やら、最近の忙しない世の中の正体は、実は「イラチな世の中」なのではないかと思う。
どんなに忙しくても、人の話をきちんと聞くゆとりだけは無くさないようにしたい。
関連記事
2008.02.19
2008.02.22
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。