ホリエモン氏が提案したコンビニ居酒屋というアイデアに、一橋大学の教授が否定コメントをしたことにさらに堀江氏は反論し、経営学者は経営ができるのかという論争が起こりました。専門とは何なのか、経営学者と経営の関係、スポーツの監督と選手の関係、さらにはB’zとAKBの関係を見てみましょう。
経営における売上利益絶対主義も同じですが、それらを達成できなければ経営として認められないのは事実です。キレイごとではなく、経営数値的な絶対値が経営を評価します。しかし一方、コンプライアンスに反した手法でそれを達成しても、それは経営ではありません。密輸だの薬物だのの販売によって得られた金銭はそもそも売上ではなく、ただの犯罪です。詐欺で得た収益も同じです。
しかし文化や芸術も金ですべてなのでしょうか。私は商業主義を一切否定するものではありません。しかし聞きもしないCDを売った枚数で芸術の評価が決まるとなると、納得できません。AKBと秋元氏をビジネスでの大成功者とすることに、一切異議はありません。しかし史上最高の歌手だと認めることには強い抵抗を感じます。B'zファンでも何でもありませんが、すくなくとも、それまでの売上トップだったB'zのCDは大量に捨てられたりはしていないはずです。評価されるべき基準は明確に違うものだといえます。
・経営学者は経営の専門家ではない
経営学者が社外取締役などに就く例はあると思いますが、経営学者と経営者は違います。論争の一人、一橋大学の楠木教授も述べているように、経営学者と経営者は役割が違うのです。経営をすることと、経営学を極めることは別物です。動物的なカンや偶然による成功も、経営において時には必要だったり、そのおかげで危機を乗り越えたということもあり得るでしょう。
しかし経営学は「学問」です。学問として成り立つだけの信頼できるソースによる裏付けと、論理的整合性を持った論文を書けることは学者としては最低限必要であり、教授職にまで至る以上、そうした研究能力こそが欠かせない資質になります。一部の有名人以外、普通で教授になれることはありません。論争に一時加わった一橋大の佐山教授は、自身が投資ファンドの社長=経営者であり、非常に例外的存在だといえます。ただし経営といっても事業経営者と投資ファンド経営者ではかなりその役割は異なりますが。
いずれにしても経営学者が経営の専門家でない以上、その発言も学問的領域での価値判断であって、実際の経営的な精度を持つとはいえません。逆に事業経営者は常に論理的整合性やソースの分析を行う仕事ではありませんから、ヤマ勘で当たることもあり得ます。それも含め経営の成功に数えられるでしょう。やはり評価軸となる基準をしっかりと持つことが重要です。他人が決めた評価を鵜呑みにする、リテラシーの無さは、どんなことであってもインテリジェンスがない行為だといえます。
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2015.07.10
2015.07.24
株式会社RMロンドンパートナーズ 東北大学特任教授/人事コンサルタント
芸能人から政治家まで、話題の謝罪会見のたびにテレビや新聞で、謝罪の専門家と呼ばれコメントしていますが、実はコミュニケーション専門家であり、人と組織の課題に取組むコンサルタントで大学教授です。 謝罪に限らず、企業や団体組織のあらゆる危機管理や危機対応コミュニケーションについて語っていきます。特に最近はハラスメント研修や講演で、民間企業だけでなく巨大官公庁などまで、幅広く呼ばれています。 大学や企業でコミュニケーション、キャリアに関する講演や個人カウンセリングも行っています。