「以和為貴(和を以て貴しと為せ)」といえば聖徳太子のキャッチフレーズである。が、この歴史上の名言こそは、その本来の意味をもっとも誤解されている言葉だ。太子が説いた本来の「和の精神」とは何だろうか。
そこまで相手を理解した上で、相手に伝わるように話をする。相手に決
しておもねることなく、自分の意見を理解してもらえるように話す。そ
のとき相手と自分はあくまでも対等でなければならない。相互理解はそ
こから生まれる。そしてこの相互理解こそが、太子の説いた「和」の
エッセンスなのだと思う。
だから太子は「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」で始ま
る書簡を遣隋使に持たせたのだろう。たとえ相手が当時の大国隋の煬帝
だとしても、相手と真っ当なコミュニケーションを取るための第一歩と
してお互いが対等の立場に立っていることを示すために。
普通に話すだけでは、その場の会話がどんなに弾んだとしても恐らくは
コミュニケーションは成立しない。まず相手を理解しようとする気持
ち、ここからコミュニケーションは始まるのであり、十全としたコミュ
ニケーションの先にこそ「和の精神」は成立するのだと思う。
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