『しんがりの思想』鷲田清一(角川新書) ブックレビューvol.1

画像: Tony Tseng

2015.07.23

ライフ・ソーシャル

『しんがりの思想』鷲田清一(角川新書) ブックレビューvol.1

竹林 篤実
コミュニケーション研究所 代表

「しんがり」を漢字で表すと「殿」。この言葉は、撤退するグループの最後尾で味方を見守り、敵を防ぐ役割を意味する。先頭に立って集団を引っ張るリーダーではなく、一番後ろで集団を見守る「殿」が、これからの社会では必要ではないか。本書はそんな問題提起の書である。


日本の現状と将来、リーダーとしんがり

本書がもう一点、強く指摘するのが「サービス社会の行き過ぎによると市民性の衰弱」である。日本では、かつてはコミュニティが担っていた機能を、国家が体系的に担うようになった。例えば「出産、子育て、教育、看護と介護、看取りと葬送、もめ事解決、防犯・防災など住民の生命に深く関わることがらは、住民のインターディペンデンスのネットワークを緊密にあむものであった(同書、P96)」。ところが、これらすべてを「国家が専門家を養成して国家資格を付与し、それらを代行させるようになったのである(同書、P96)」
以前なら住民コミュニティによってまかなわれてきたことがらが、サービスとして提供されるようになった結果、コミュニティが崩壊しつつある。今後の東京で、最も危惧されるのは、コミュニティから外れて一人で暮らす老人の孤独死である。コミュニティの崩壊度に関しても、おそらくは日本は世界の最先端を突っ走っている。
では、この先どうするのか。決めるのは、私たちである。


未来を創ることができるのは、今の自分しかない


日本は衰退社会であると、本書は指摘する。現状は確かにその通りである。国家が抱える負債と経済成長の可能性をシビアに吟味すれば、日本がギリシアのような財政破綻に陥ったとしても何ら不思議はない。彼の国は国家財政の多くを公務員への報酬と年金に割いていた。翻って日本を見れば、国家財政の多くを社会福祉に回している。ギリシア、日本ともに付加価値を産まないセクターに偏った財政配分が行われている。基本的な構造はほとんど同じだ。
ただ日本が救われているのは、高度経済成長時代の蓄えがあるため、綻びが決定的に明らかにはなっていないからに過ぎない。もとより社会の衰退を放置したままで良いとは思わないし、未来に絶望する必要もまったくない。日本の技術力、研究者の底力は決して世界に引けをとらない。
ただし、高度経済成長のような右肩上がりを期待するべきではないだろう。かといって撤退戦を決めつける必要もない。現状をどう捉えるのかは、今を生きる一人ひとりが考えるべき課題である。
こうした現状認識のうえで、自分が所属するコミュニティをどう設定するのか。その中での自分は、どの役割を引き受けるのか。社会との関わりの中でしか人は生きていけない。その社会を、これからどうしていくのか。決めるのは自分である。
そんな思索へと導いてくれるのが、本書である。リーダーとは何か、市民社会とは何か、日本はこれまでどのように変化し、これからどうなるべきなのか。一度改めて考えてみたい人には、おススメの良書である。

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