この春、新しく社会人となり晴れて職業を持つみなさん、おめでとうございます。前半は、「仕事の内容」は選べないが、「仕事との関わり方」は自分で決められるということをお話しします。
人が持つ働く動機は一つだけではありません。図に示した5つを複合的に持つものです。その複合具合は人さまざまです。最も抱くことが難しいのが5番目の「使命」です。「自分はこの仕事をやるために生まれてきた!」「仕事を通じてこれを世の中に残していきたい!」といったような、仕事に何か強力な意味を与えることができる人は、実はそう多くはいません。試しに、職場で先輩社員や上司にきいてみてください。たぶん口ごもってしまう場合が大半ではないでしょうか。
「仕事にそんな高尚な意味なんて必要ない」と言う人もいます。そして実際、仕事に使命感などを抱かなくとも、仕事をうまく、楽しくやっている人はたくさんいます。ですが、そんなときに私は、ヴィクトール・フランクル(オーストリアの心理学者。第二次世界大戦下、ナチス・ドイツの強制収容所を生き抜き、そのときの体験を『夜と霧』に著した)が書き残した次の言葉を研修などで紹介しています。
「人間とは意味を求める存在である。意味を探し求める人間が、意味の鉱脈を掘り当てるならば、そのとき人間は幸福になる。彼は同時に、その一方で、苦悩に耐える力を持った者になる」。───『意味への意志』より
人間はどうしても自分のやっていることに意味を与えたくなる動物です。それは意味からエネルギーを湧かせたいためであるし、意味を満たすことによって自己の存在を太く感じたいからです。そして共通の意味のもとに人とつながりたいからです。「仕事に高尚な意味は不要」と言っている人の中には、実はボランティア活動に汗を流す人も多くいます。この問題の本質は、昨今の事業現場では各人が担当する業務があまりに細分化・専門化され、あまりに数値目標達成が重くのしかかっているために、自分の仕事に意味を与えづらくなっているところにあると私は分析しています。ですから人は決して意味を放棄しているわけではないのです。
また、昨今ではメンタルヘルス(心の健康)の問題が大きくなっています。やはり、自分の仕事に意味を見出している人は、見出していない人よりも、当然ストレスに強くなります。上のフランクルは、実は収容所に送られる直前、長年の研究成果を出版する計画があり、原稿まで書き上げていました。収容所に囚われたフランクルは、あの論文を世に出版するまで死ねるかという執念に近い意味を持ち続けました。だからこそ、あの凄惨な収容所を生き抜く精神エネルギーを得たのだと言います。彼が発した「意味の鉱脈を掘り当てた人間は、同時に苦悩に耐える力を持った者になる」は、そうした含みです。
みなさんはこれから何十年と働いていくにあたって、生命を取られるほどではありませんが、さまざまなストレスにさらされることになるでしょう。そのときに覚えておいてほしいのは、働く心の上で、最大の攻めであり、最大の守りとなるのは、仕事に意味を与えることです。その「意味」とは、先の「5つの動機」図でみたように「お金のために」というだけでなく、他の4つも含めて重層的に与えることが大事です。当面は仕事をこなすことだけに手一杯かもしれません。ですが、時間をかけながら、是非上のほうの段階まで仕事への意味付けを分厚くしていってください。
→新社会人に贈る2014[下]に続く
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【新社会人に贈る2014】
2014.03.24
2014.03.24
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。