誰しも長い人生において、自分の進むべき「道」について悩むことがある───「道」ということについて、トーマス・マン、東山魁夷、高村光太郎の言葉から見つめる。
確かにこの理論は、私も自身の20余年のキャリアを振り返ってみても、じゅうぶん理解できるものではあります。ただ、学術的知見として、観念として分かっても、やはり人生の悩みは人生の悩み。現実の自分をどこへ持っていくかは、人生の具体的課題として依然大きく眼前に横たわります。しかし、自分の歩むべき道を容易に定めることができない、その難しさこそが人生を深く、味わい深いものにしているものでもあります。
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「道」という言葉を耳にするとき、私は反射的に、東山魁夷の描いた作品『道』を思い浮かべます。ただ一本の道が続いていく、それを清澄な空気のなかに情感豊かに描いたあの名作です。東山はこの作品についてこう語っています。
「人生の旅の中には、いくつかの岐路があり、私自身の意志よりも、もっと大きな他力に動かされていると、私はこの本のはじめの章に書いている。その考え方はいまも変わらないが、私の心の中に、このひとすじの道を歩こうという意志的なものが育ってきて、この作品になったのではないだろうか。いわば私の心の据え方、その方向というものが、かなりはっきりと定まってきた気がする。しかし、やはりその道は、明るい烈しい陽に照らされた道でも、陰惨な暗い影に包まれた道でもなく、早朝の薄明の中に静かに息づき、坦々(たんたん)として、在るがままに在る、ひとすじの道であった」。
───東山魁夷『風景との対話』(以下の引用も同著より)
東山はこのひとすじの道は、自分自身がこれから歩いていく方向の道を描いたと言っています。そしてその道は、“他力”によって見えてきたのだと。彼が言う「他力」は、「他力本願」といった場合に使われるような受け身で依存的な他力ではありません。そうしたひ弱な他力ではなく、死にもの狂いの自力で努力して努力して、そこを超えたところで出合う「おおいなる何か」という意味での他力です。
2つの世界大戦をまたぐ東山の幼少期、青年期の苦労話は割愛しますが、ともかくも彼は画家として目立った成果をあげられないまま昭和20年を迎えます。そしてこの年の7月(つまり終戦の1カ月前)、よもや37歳の東山まで召集令状を受け、直ちに熊本の部隊に配属されます。そこでは爆弾を身体に巻き付け、上陸してくる米軍戦車を想定した突撃訓練が行われていました。そんな訓練が続くある日、東山は熊本城の天守閣跡に登りました。そしてその日、そこからみた眺望がその後の運命の分岐点となりました。東山はこのように書いています。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。