ディズニー映画『ファンタジア』。ミッキーマウス扮する「魔法使いの弟子」は箒(ほうき)に魔法をかけ、自分に代わって水汲みをさせるが…。この寓話からあなたは何を学び取るだろうか。
───ミッキーマウス扮する魔法使いの弟子は、師匠から水汲みを命ぜられ、両手に木桶を持って家の外と中を往復している。折しも師匠が出かけていなくなり、ミッキーはここぞとばかり、見よう見まねの呪文を箒(ほうき)にかける。すると箒は木桶を両手に持って歩き出し、自分の代わりに水汲みを始める。しめしめとミッキーは居眠りをする。しかしその間にも水はどんどん溜まり続け、ついには溢れ出す。
ミッキーは目を覚まし、あわてて箒を止めようとするが、箒にストップをかける呪文がわからない。ミッキーは斧を持ち出して、箒を切り刻んでしまう。ところが切られた破片がそれぞれ1本の箒となって蘇り、水汲みを始める始末。箒の数は幾何級数的に増えていき、ミッキーは洪水状態の家の中であっぷあっぷと溺れる……。
さて、この寓話からあなたは何を学び取るだろう。ある人は「怠け心は結局得にならない」と日常生活への知恵にするかもしれない。また、ある人は「技術は中途半端に用いると危険だ」と自分の仕事のことに当てはめて考えるかもしれない。さらには、これを現代文明への警鐘として受け止める人もいるかもしれない。
米国の評論家・歴史家であるルイス・マンフォードは、『現代文明を考える』(講談社、生田勉・山下泉訳)の中で、この寓話を取り上げ、こう書く。
───「大量生産は過酷な新しい負担、すなわち絶えず消費し続ける義務を課します。(中略)『魔法使いの弟子』のそらおそろしい寓話は、写真から美術作品の複製、自動車から原子爆弾にいたる私たちのあらゆる活動にあてはまります。それはまるで、ブレーキもハンドルもなくアクセルしかついていない自動車を発明したようなもので、唯一の操作方式は機械を速く働かせることにあるのです」。
◆抽象的な物語に触れよ
1つの寓話から引き出す内容、当てはめる先は、人それぞれに異なる。それを描いたのが図2だ。このように、ある比喩を生活や仕事、社会といった他の物事に広げ応用していくのが「比喩の展開」である。
比喩の展開プロセスは、図に描いたとおり3ステップになる。─── ①抽象度を上げて考え、②そこから共通性を見出し、③当てはめる。この一連の流れを私は、その形から「π(パイ)の字」プロセスと呼んでいる。
「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」「北風と太陽」など、世の中にはさまざまな寓話がある。寓話は子ども向けの話と済ませてはいけない。古典的な寓話は、人生のいつの時期に読んでも、そのときどきのとらえ方ができる。抽象度を高く上げて、その寓話が内包するエッセンスをつかみ、遠くのものごとに敷衍(ふえん)することは、大人の成熟した思考の姿でもあるのだ。
具体的な情報ばかり摂取していてもこうした思考力は鍛えられない。抽象的な物語に触れ、それを咀嚼し展開する思考機会に自分をさらさなくてはならない。それはさほど難しいことではない。例えば、文学にせよ絵画にせよ、芸術作品に接し、作者が曖昧さの奥に潜ませた本質は何だろうと、感性を開き、思考を巡らせていくことで養われる。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。