人は歳とともに自身の抱く目的の質とレベルに応じた人間になる。現状の自分より常に大きな高い目的を持って、それを目指していれば永遠に成長は続く。そして目的から得られる“やりがい”というエネルギーが、人を永遠に若くする。
テレビ番組やネット上のコンテンツは、おおかた刺激物や消費情報であって、風を吹かせることならできるが、根っこをつくり、土壌を豊かにし、骨を強くすることはできない。その点、本は良いものであれば、滋養物となり、いろいろな基盤をつくる素となる。本はやがて大部分が印刷ではなく、「i-pad」のような端末画面上のものになるかもしれないが、それでも本が果たす重大な役回りは21世紀も変わらないだろう。
だから、良い本を書き遺すということは、生涯を懸けてやるに値する一大仕事なのだ。
◆願いは“叫び”に変じなければ本物ではない
私は、夢と志を次のように定義している。
夢とは、不可能なことをイメージし、それを実現化する楽しい覚悟である。
志とは、はるか高みにある理想を誓い、それを現実化する自分への約束である。
願いに向かう気持ちにはいろいろな種類・強さがある。
□「な(や)れればいいな」 〈淡い望み〉
□「な(や)りたい」 〈願望〉
□「な(や)らせてください」 〈祈り〉
□「な(や)ってみせる」 〈誓い〉
□「な(や)ってやる」 〈意地〉
□「自分がな(や)らねば誰がな(や)る」 〈使命感〉
□「な(や)らないではすまない」 〈反骨〉
□「な(や)るのだ」 〈確信〉
□「な(や)らずに死ねるか」 〈執念〉
「100年読まれ続ける本を遺す」という思いは数年前から頭をかすめていたのだが、なかなかそれを夢・志として自分に明確に宣言できなかった。ところが、ようやくいま、「やれればいいな」とか、漠然と「やりたい」というレベルを超え、上のリストで言えば「やらせてください」以下「やらずに死ねるか」までの全ての気持ちが胸に満ちるようになった。
それは私に、リルケ(プラハの詩人:1875-1926)の『若き詩人への手紙』(高安国世訳、新潮文庫)の一節を思い出させる。───
「自らの内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐって下さい。それがあなたの心の最も深い所に根を張っているかどうかをしらべてごらんなさい。もしあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白して下さい。
・・・(中略)もしこの答えが肯定的であるならば、もしあなたが力強い単純な一語、『私は書かなければならぬ』をもって、あの真剣な問いに答えることができるならば、そのときはあなたの生涯をこの必然に従って打ち立てて下さい」。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。