ほんとうの祈りは、「他からこうしてほしい」とおねだりすることを超え、「自分が見出した意味のもとに何があってもこうするんだ」という覚悟である。祈りがそうした覚悟にまで昇華したとき、その人は、嬉々として、たくましく動ける。
もう一人は染織作家で人間国宝の志村ふくみさんです。淡いピンクの桜色を布地に染めたいときに、桜の木の皮をはいで樹液を採るのですが、春の時期のいよいよ花を咲かせようとするタイミングの桜の木でないと、あのピンク色は出ないのだといいます。秋のころの桜の木ではダメなのです。
「その植物のもっている生命の、まあいいましたら出自、生まれてくるところですね。桜の花ですとやはり花の咲く前に、花びらにいく色を木が蓄えてもっていた、その時期に切って染めれば色が出る。
・・・結局、花へいくいのちを私がいただいている、であったら裂(きれ)の中に花と同じようなものが咲かなければ、いただいたということのあかしが、、、。
自然の恵みをだれがいただくかといえば、ほんとうは花が咲くのが自然なのに、私がいただくんだから、やはり私の中で裂(きれ)の中で桜が咲いてほしいっていうような気持ちが、しぜんに湧いてきたんですね」。
―――梅原猛対談集『芸術の世界 上』より
◆いかなる仕事も自分一人ではできない
仕事という価値創造活動の入り口と出口には、インプットとアウトプットがあります。ものづくりの場合であれば、必ず、入り口には原材料となるモノがくる。そして、その原材料が植物や動物など生きものであれば、その命をもらわなければなりません。
古い言葉で言えば「殺生」です。
そのときに、アウトプットとして生み出すモノはどういうものでなくてはならないか、そこにある種の痛みや祈り、感謝の念を抱いて仕事に取り組む人の姿をこの二人を通して感じることができます。
毎日の自分の仕事のインプットは、決して自分一人で得られるものではなく、他からのいろいろな生命、秩序、努力によって供給されています。例えば、いま私はこうして原稿を書いていますが、まずは過去の賢人たちが著した書物が私に知恵を与えてくれています。また、この原稿をネットにアップしようとすれば、ネット回線の維持・保守が必要であり、ブログサイトをきちんと運営してくれる人の労力がいります。
さらに、こうして考えるためには、私の頭と身体に栄養が必要で、昼に食べた雑煮(そこには出汁にとった昆布や鶏肉、そして餅の原料となるコメ)がその供給をしてくれています。それら、昆布やら鶏やらコメの命と引き換えに、この原稿の一文字一文字が生まれています。だからこそ、古人たちは、食事の前後に「いただきます」「ごちそうさまでした」と手を合わせた。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。