「ゲームとしての仕事」が幅をきかせるビジネス社会にあって、「道としての仕事」に邁進できる人は幸福である。そこには自分を十全にひらきたいという祈りが必然的に起こってくる。
仕事をカテゴリー分けするなら、ひとつには「ゲームとしての仕事」がある。ある種のルールと限られた資本の下で得点(お金)を取り合う───企業もサラリーマン個人も、そんな「ゲームとしての仕事」に労力を注ぐ。そうして存続のための利益や給料を得ていく。
他方で、「道としての仕事」がある。もちろん、私たちは生きるために稼がなくてはならないが、それを第一の目的とするのではなく、その道を究めることを最上位の目的に置く───そうした意識で働いている人たちもまた世の中には少なからずいるのだ。
サラリーマンであっても、ある割合、「道としての仕事」を行うことはできる。例えば、NHKのテレビ番組『プロジェクトX』はその一例かもしれない。多少演出仕立ての面はあるだろうが、彼らは自らの仕事を道として究めようと奮闘した。あれを他人事と見過ごしてはいけない。誰にも、目の前の仕事をあのように「プロジェクトX」化させることはできるのだ。
丸ごとの自分を没入できるプロジェクトを得た人は仕事の幸福人である。仕事の幸福は、道を究めようとする過程にある。絶え間なく精進するその過程において、私たちは、自らがつくり出すその時点での最良の作品と対面できる。道を同じくする師や同志との出会いがある。そして何よりも、道のはるか先に見え隠れする「大いなる何か」を少しずつ感得し、そこから大きな力を得ることができる。
その次元になると、不思議と人間は、小我にわずらうことが少なくなってくる。道のもとに自分を十全にひらきたいと欲するようになる。他者や社会のために自分の能力を使いたいと願うようになる。それがつまり「祈り」ということだ。
◆「自己実現」とは何か?
私はここで、何か「シューキョー(宗教)」の勧誘をしているわけではない。スピリチュアルな体験への案内をするつもりもない。ただ、人間はそのようにできているということを言いたいだけだ。
小説家にせよ、画家、音楽家にせよ、彼らは、「何かが自分に降りてきて、書かされた」とか、「自分は“いたこ”状態だった」というようなことをよく口にする。そうした無我の没入状態を、心理学者のミハイ・チセントミハイは「フロー」と名付けたし、アブラハム・マスローは「至高体験」と呼んだ。
マスローが出たところで、彼が普及させた言葉─── 「自己実現」について、ここで触れておこう。「自己実現」は、何でもかんでも自己中心的に、「なりたい自分になる」「やりたいことをやりたいように表現する」というものでない。マスローは、自己実現とは「最善の自己になりゆくこと」だとし、こう付け加える───
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。