孤独は孤立を意味しない。むしろ真の孤独を知った人どうしは、深く強く結ばれる。そのために私たちは、孤独にものを考える時間が要る。
じゃぁ、「ほんとうのつながり」って何だろう───?
それは少し月並みの答えになりますが、「深いところで強くつながる」こと。
じゃぁ、「深く強くつながる」ためにはどうすればいいのだろう───?
それは「深く強く自分を突き出す」こと。
そのヒントは─── “Only is not lonely.”
「Only is not lonely.」は、糸井重里さんが主宰するウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』の表紙ページに掲げられているコピーです。
「オンリー(唯一)であることは、必ずしもロンリー(孤独)ではない」というメッセージには、味わい深いものがあります。糸井さんはこう書いています───
「孤独」は、前提なのだ。
「ひとりぼっち」は、当たり前の人間の姿である。
赤ん坊じゃないんだから、誰もあんたのために生きてない。
それでも、「ひとりぼっち」と「ひとりぼっち」が、
リンクすることはできるし、
時には共振し、時には矛盾し、時には協力しあうことは
これもまた当たり前のことのようにできる。 (中略)
「ひとりぼっち」なんだけれど、
それは否定的な「ひとりぼっち」じゃない。
孤独なんだけれど、孤独じゃない。
―――糸井重里「ダーリンコラム」(2000-11-06)より
個性のない人たちが群れ合って、尖がった個性や出るクイを批評し、つぶすということが組織や社会では往々にして起こります。
また、孤独を怖がる人たちが、やはり孤独を同じように怖がる人たちと、不安しのぎの結び付きをすることもあります。
しかし同時に、「オンリーな人」たちが、深いところでつながって互いを理解し合い、強く創造し合うということも起こります。オンリーな存在として一人光を放とうとするとき、真の友人が不思議と何処からか寄ってきます。そしてオンリーであることを研ぎ澄まそうと一所懸命にもがいていると、いつしか同じ志のネットワークのなかに自分がいることに気づきます。こうしてオンリーは決してロンリーではなくなるのです。
残業の日々が続き、ふと帰宅途中に、月明かりの下で触れた街路樹の木肌のやさしさをどうしようもなく文字にして書きつけたくなったとき、その人は、宮沢賢治の詩とつながるかもしれません。そしてそこでは、現代の物質文明をある距離から見つめ、自然や宇宙からインスピレーションを感じている人たちが結び付きあっています。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。