本当に大事な人財教育というのは、末梢の具体的な行動をいくつも覚え込ませることではない。育むべきは、抽象的に大本の「一(いち)」を考えつかもうとする習慣だ。大本の「一」をつかんだ者は、幾通りにも自分だけの具体的な行動を生み出せる。
◆「本田技術研究所は人の気持ちを研究するところである」
補足になるが、松下幸之助や本田宗一郎は、事業に対しどんな定義の感覚をもっていたのだろう。松下は『実践経営哲学』の中でこんな言い回しをしている―――“事業は人なり”といわれるが、これはまったくそのとおりである。(中略)私はまだ会社が小さいころ、従業員の人に、「お得意先に行って、『君のところは何をつくっているのか』と尋ねられたら、『松下電器は人をつくっています。電気製品もつくっていますが、その前にまず人をつくっているのです』と答えなさい」ということをよく言ったものである。
また、本田は1960年(昭和35年)に本田技術研究所を分社独立させたとき、創立式典で次のように語ったという―――私は研究所におります。研究所で何を研究しているか。私の課題は技術じゃないですよ。どういうものが“人に好かれるか”という研究をしています(ホンダ広報誌『Honda Magazine』2010年夏号より)。
「松下電器は人をつくるところである」「本田技術研究所は人の気持ちを研究するところである」―――これらの定義は抽象的であると同時に主観的である。定義は客観的であるべきだと誰もが思いがちである。しかし主観による定義が悪いだろうか。確かにサイエンス(科学)の世界は厳格に客観性を求める。しかし、経営や事業、仕事といったアート(技芸)の要素を多分に含み込む人の営みの世界では、主観性はおおいに許される、いや、むしろ積極的に奨励されるべきではないか。
会社では頻繁に会議が行われている。しかし、私が感じるのは、会議の場に分析や批評が溢れはするが、ついぞ「自分たちはどうするんだ」とか「自分たちは事業をこう定義する」といった肚から出る主観的な意志が立ち現われてこない。結局、対前年何%増といった事業計画上の数値目標だけが、客観性・合理性を帯びた金科玉条として組織の中を跋扈することになる。
「拙くてもいい、粗くてもいい。もっと抽象的に、もっと主観的に、仕事を通しての自分の叫びを表現してみろ!」私が経営者・上司なら、そう発破をかけるだろう。ちなみに私は、自分が行う事業を次のように定義している───「働くとは何か?に対し目の前がパッと明るくなる学びの場を提供する事業」。そして自分の目指したい姿は「働くとは何か?について第一級の翻訳者になること」。
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【抽象的に考える力】
2011.11.08
2011.11.08
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。