「事業体とは利益を得るための組織である」───この考え方に対し、ピーター・ドラッカーは「間違いであるばかりでなく、的外れである」と言った。
◆利益は結果的に生まれる「恵み」である
次に、もう1つの要素である「成果・報酬・恵み」について考えてみましょう。手段を尽くして目的を成就させると、結果的に何かしらの産物が出ます。産物とは、具体的なモノかもしれませんし、目に見えないコトかもしれません。経済的な利益をここに位置づけることもできます。
○「本質的には利益というものは
企業の使命達成に対する報酬としてこれをみなくてはならない」。
───松下幸之助『実践経営哲学』)
○「徳は本なり、財は末なり」。
「成功や失敗のごときは、
ただ丹精した人の身に残る糟粕のようなものである」。
───渋沢栄一『論語と算盤』
松下幸之助は、事業家・産業人として『水道哲学』というものを強く抱いていました。それは、蛇口をひねれば安価な水が豊富に出てくるように、世の中に良質で安価な物資・製品を潤沢に送り出したいという想いです。松下にとって事業の主目的は、物資を通して人びとの暮らしを豊かにさせることであり、副次的な目的は、雇用を創出し、税金を納めるということでした。そして、そうした目的(松下は“使命”と言っていますが)を果たした結果、残ったものが利益であり、それを報酬としていただくという考え方でした。
一方、明治・大正期の事業家で日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は、財は末に来るもの、あるいは糟粕のようなものであると言いました。仁義道徳に基づいた目的や、その過程における努力こそが大事であって、その結果もたらされる財には固執するな、無頓着なくらいでよろしいというのが、渋沢の思想です。
渋沢は、第一国立銀行のほか、東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、帝国ホテル、東京証券取引所、キリンビール、そして一橋大学や日本赤十字社などに至るまで、多種多様の企業・学校・団体の設立に関わりました。その活躍ぶりからすれば、「渋沢財閥」 をつくり巨万の富を得ることもできたのでしょうが、「私利を追わず公益を図る」という信念のもと、蓄財には生涯興味を持ちませんでした。
このように、お金や利益を儲けようとか追求しようとか、それを主たる動機にするのではなく、主たる動機は別にあって、お金や利益はそのための“前提”として大事である、“結果的”に授かるものである、というのがドラッカーや松下、渋沢のとらえ方です。
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【目的と手段を考える】
2011.10.17
2011.10.17
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。