私たちは日々の仕事の中で、手段がいつの間にか目的にすり替わり、袋小路に入っていたということをしばしば経験する。目的と手段をきちんと理解しているか否かは、事の結果に大きく影響する。本稿では改めて目的と手段について考える。
【補足:目的と手段の特殊な形】
以下、補足として目的と手段の特殊な形を3つ書き添えます。
1つめに、目的と手段が一体化するという形。手段という行為がそのまま目的化するもので、これを「自己目的的」と呼びます。例えば、芸術家の創作がそうです。画家は絵を描くために、絵を描きます。美の創造はそれ自体目的であり、手段ともなるのです。岡本太郎はこう言っています。
○「芸術というのは認められるとか、売れるとか、
そんなことはどうでもいいんだよ。
無条件で、自分ひとりで、宇宙にひらけばいいんだ」。
───岡本太郎『壁を破る言葉』
次に、目的がなく(またはその意識がなく)、ただその行為に没頭する形です。これは、ポジティブな「無目的的」行為で、例えば、子どもの遊びが当てはまるでしょう。『エクセレント・カンパニー』の著者であるトム・ピーターズは、砂で遊ぶ子どもの様子をこう書いています。私たちも子どもの遊びのように、一心不乱に仕事に没頭できたら幸せですね。
○「遊びはいい加減にやるものではない。真剣にやるものだ。
ウソだと思うなら海辺で砂のお城を作っている子供を見てみるといい。
まさに一心不乱、無我夢中…。作り、壊し、また作り、また壊し……。
何度でも作り直し、何度でも修正する。ほかの物は目に入らない。
ぼんやりよそ見をしていれば、お城は波にさらわれてしまう。
失敗は気にしない。計画はいくら壊してもいい。
壊していけないのは夢だけだ」。
───トム・ピーターズ『セクシープロジェクトで差をつけろ!』
そして、3番めは、目的がなく(またはその意識がなく)、ただその行為に漂流する形です。これはネガティブな「無目的的」行為であり、例えば、絶望者の行動が当てはまるでしょう。社会学者のクルト・レヴィンは、絶望者の行動を次のように表現しています。
○「人は希望を放棄したときはじめて「積極的に手を伸ばす」ことをやめる。
かれはエネルギーを喪失し、計画することをやめ、
遂には、よりよき未来を望むことすらやめてしまう。
そうなったときはじめて、かれはプリミティヴな受身の生活に閉じこもる」。
───クルト・レヴィン『社会的葛藤の解決』
※目的と手段を考える〈下〉~金儲けは目的か手段か? に続く
http://www.insightnow.jp/article/6841
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【目的と手段を考える】
2011.10.17
2011.10.17
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。