古来、星は人びとに多くのインスピレーションを与えてきた。「星」が出てくる名言を3つ紹介しよう。
さて、2つめの言葉───
「目を星に向け、足を地につけよ」。
“Keep your eyes on the stars, and your feet on the ground. ”
―――Theodore Roosevelt
目を星に向けながら、大地をたくましく走る。残念ながら、そうした健やかな姿で日々の仕事に向かっている人は、昨今ではむしろ少数派になってしまったのかもしれない。私が平成ニッポンのホワイトカラーでイメージするのは、みんなが横並びでエアロバイク(フィットネスクラブに置いてある自転車漕ぎマシン)に乗り、正面のメーターに目を固定させ、組織から与えられた目標回転数を維持するためにせっせと漕ぐ姿、とか、「何かいいもの落ちていないかなー」などと猫背で地面を見ながら歩いている姿である。
私が企業の研修現場でよく耳にするのは「社内にあんなふうになりたいという魅力的な上司・経営者が見当たらない」という声だ。おそらく星を見て大地をたくましく駆けている大人の姿、つまりロールモデルが多くの組織で不足しているのだろう。しかし、若い人たちも、そうそう年上世代のせいにもしてはいられない。その下から育ってくる子供世代もまた年上世代を観察しているのだ。
日本が、世代ごとに「安定志向」という名の精神的縮小回路に入り込まないために何ができるか、何が必要か―――それは世代に関わらず、1人1人の人間が、空を見上げ、雄大な空間に自分の星を見つけようとすることだ。そしてリスクを恐れず、保身の枠から一歩足を外へ出していくことだ。そしてそれが世の中的に「カッコイイ生き方」のイメージになっていくことだ。
上のルーズベルト大統領の言葉の類似形で「しばしばつまずいたり転んだりするのは、星を追いながら走っているから」というのもある。つまずいたり、転んだりするのは決してカッコ悪い姿ではない。カッコ悪いのは、星も追わず転ぶことも怖がっている姿だ。かのピーター・ドラッカーも「間違いをしたことのない者は凡庸である」と言う(『現代の経営〈上〉』)。凡庸と言われようが、カッコ悪いと思われようが、「小ぢんまりと安定していたほうが人生得だ」という利己・功利主義が大多数になったとき、この国の趨勢は決定的になる。
そして3つめの言葉―――
「星をつかもうと手を伸ばしてもなかなかつかめないかもしれない。
だが、星をつかもうとして泥をつかまされることはないだろう」。
“When you reach for the stars, you may not quite get one,
but you won't come up with handful of mud either. ”
―――Leo Burnett
星は遠い彼方で輝いている。容易につかめない距離にあるからこそ、人は星を夢や志に見立てる。確かに一生かかっても星はつかめないかもしれない。しかし、星を追い続ける人は、星ではないにせよ、同じようにきれいに輝く何か(宝石か、ガラス細工か、蛍か)を手にするだろう。仮にそうしたものを手にできなかったとしても、結果的に「星と共に人生があった」というかけがえのない報酬を得る。星をつかもうとする行為のなかに、すでに“ごほうび”は仕組まれているのだ。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。