疑い続けても仕方がないこと、信じ続けても仕方がないこと、弁えることは大切です。 それにはまず、自分の弱さを認めることから―
以上から何を伝えたいか。
それは、「疑うだけ」「信じるだけ」の人は、自らがとても弱い人であり、かつ、弱さをなかなか認められない人であり、そして認めていないからこそ、弱いまま、解決法を自ら見つけることができず、盲目的に「疑う」「信じる」だけではないか、ということなんです。
※蛇足ですが、「声を荒げて(疑う気持ちから)批判する」人は、「信じるだけ」の人と異なり、周りに必要のない不快を及ぼしている点において、非難されるべき人かと思っています。
弱さを認めて、初めて強くなれます、人間は。
弱さを認めて、初めて正しい選択をしていこうとできます、人間は。
弱さを認めた上で「疑う」と、疑いきれないものに「信じる」という良性が湧きます。
弱さを認めた上で「信じる」と、信じきれないものに「疑う」という選択眼が生まれます。
このバランスの中で人は成長し、周りにも「信頼できる人」が多く集まってくるのではないでしょうか。
メルマガ「平成進化論」執筆の鮒谷周史さん。
※平成進化論
http://www.mag2.com/m/0000114948.html
震災の発生と共に、危機管理として、関西地方へ移動しました。
そんな鮒谷さんが、3月30日配信号で語られていることが下記です。
※メルマガのテイストを残すため、改行や行間もメルマガに準じています。
=========
何にしたところで、私はもとより完全完璧な
聖人君子ではありませんし、そんな人物を演じる
つもりもありません。
切れば血も出る、膿も出る、醜い生身の人間です。
初期の段階の、危険性が全く分からない状態で
楽観論や根性論、理想論で事態を乗り切ることが
できなかった臆病者の現実主義者です。
「あるべき論」のみを基準にして、
行動することができない者であり、
「あるべき論」と、実際の自分の姿とのギャップに
葛藤し続けている普通の人間です。
そもそも、東京に残ることで何か貢献できることが
あれば残る選択肢もあったかもしれないけれども、
現実にはそれが全く何も無いのに、周囲の空気を読み、
リスクを冒して残ることに意味があるのか、
などと思ってしまう、空気の読めない人間でも
あります。
東京を離れる必要はない、と科学的にいくら
説かれても、その科学的、という根拠を信じきる
ことができない情報リテラシーの低い人間です。
両親や家族から心配されるのを無視して、
東京に残ったり、落ち着いてからも戻ることが
できなかった情に弱い、小心者です。
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
関連記事
2015.07.17
2009.10.31