阪神・淡路大震災のとき、全くの素人で、ボランティアに伺ったときの経験談が、これから「人の役に立ちたい」と考える方のご参考になれば。 かつて被災者の立場だった西宮市議会議員今村岳司氏のブログも紹介します。
当時…メディアで報道されなくなったからか(きっと取材の人たちが減ったのでしょう)、ボランティアという名の迷惑な人たちと、実際にボランティアで懸命に頑張っていた人(大学生中心)が帰り始めたのが、2月上旬~中旬にかけてだったでしょうか。学期末テストが大きな理由だったかと思います。
そのため今度は、真の意味でのボランティアまで不足する事態になってきた、と、メディアの記事で流れてきました。
すでに卒論の発表以外、単位をとり終えていた僕は思いました。
「自分ができるのはいまだ」
そして僕は、寝袋を調達・持参、1週間程度の食料と最低限の着替えなどを持ち、神戸へ向って列車に乗りました。
TVで報道されていた大きな被害のところは、逆に自分が行っても邪魔になるだけ、と思っていましたから、東の方から少しずつ、人手が必要かどうか、ボランティア受付センターに足を運ぶことにしました。
最初に「とりあえず今日1日はこれやってくれ」と言われたのは、西宮市です。
配属された地での役割は、「送られてきた支援物質を整理し、不要なものを捨てるため仕分けすること」
…ありえないと思いませんか。
◆
要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。
「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。
水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。
現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。
「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、
ぜひ送ればいいともいます。
◆
被災地は、「自らは不要、だけど必要な人がいるかもしれない物」の回収場では絶対にありません。
古着屋やリサイクルセンターと勘違いしないで欲しい。
しかし残念なことに、「邪魔なものを捨てる」×「人に感謝される(と推測できる)」という、単に自らの満足を最大化する行為が、「被災地に自分に不要な、かつ、まだ十分に使えるものを送ること」なのです。
そしてこの行為をする人は、自らの行為の愚かさに気づいていません。
西宮市のとある倉庫で見た光景、それは…自らの身長の何倍もあるところまで積み上げられたダンボール。その多くは雑多につめられた古着でした。
床には、賞味期限間近の食品もいたるところに。
これが、これが、「知らない人が支援行為を行うとき」の実態なのです。
今回は阪神・淡路大震災の教訓が生かされているのでしょうか、ネットではいたるところで「一番必要な、かつ、被災者のために確実になる支援は、お金」と呼びかけられています。
だから今回はきっと、前回のような迷惑は発生しないと信じたいです。
#先の記事でも書きましたように、Z会では義援金による支援を決定しました。
http://www.zkai.co.jp/home/about/corporate/press/20110315.html
ちょっとだけ脱線しますが、西宮市で働いたとき、一緒にボランティアで1日ご一緒した社会人の方からかけられた言葉が、僕の(まだまだ未熟だった)ボランティア観に大きな影響を及ぼしました。
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