いたずらに多読するばかりが学びではありません。本棚にある1冊を再読する。そして類推を利かせる。「再読×類推」―――この2月、知的トレーニングの春キャンプとしてやってみてはいかがでしょうか。
◇大人の時間
子供は一週間たてば
一週間分利口になる
子供は一週間のうちに
新しいことばを五十おぼえる
子供は一週間で
自分を変えることができる
大人は一週間たっても
もとのまま
大人は一週間のあいだ
同じ週刊誌をひっくり返し
大人は一週間かかって
子供を叱ることができるだけ
……これも再読してどきっとしました。相変わらず自分は1週間という時間単位をぞんざいに使っていないか、と。1週間という時間単位はこわいものです。私たちは1日1日を忙しく過ごしています。ダイヤリーも時間刻みでスケジュールが埋まっています。電車が5分遅れただけでもイライラします。しかし、1週間という単位で、いったい自分は何が変わったのでしょう……?
◇六十二のソネット (41より部分を抜粋)
陽は絶えず豪華に捨てている
夜になっても私達は拾うのに忙しい
人はすべていやしい生まれなので
樹のように豊かに休むことがない
……「拾うだけに忙しい」人生は避けたいと思う。「太陽のように豪華に捨てる」ことを仕事でしたいと思う。豪華に捨てるとは、give & takeなどという打算的なことではなくて、give & give、give & forgotということでしょう。大いに与えて、そして、悠然と休む。それが苦もなくできる状態になったとき、自分は今よりずっと違った仕事景色を見ているでしょう。
◇夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった(7より部分を抜粋)
真相はつまりその中間
言いかえれば普通なんだがそれが曲者(くせもの)さ
普通ってのは真綿みたいな絶望の大量と
鉛みたいな希望の微量とが釣合ってる状態で
……「フツウに妥協したくない!」と見得を切って、普通のサラリーマン生活から独立してはみたものの、才覚は普通より多少上くらいに過ぎなかったことを悟り、稼業への苦労はいまだ絶えません。しかし、鉛の希望が黄金の希望に変わったことは確かです(埋蔵場所がいまだはっきり探せていませんが)。「フツウの生活がよかった」と思い返るのは、現状に負けている証拠。フツウに埋没しないために、もっともがこうと決意を新たに。
◇質問集続 (部分の抜粋)
金管楽器群の和声に支えられた一本のフルートの旋律、その音はどこから来るのですか、笛の内部の空気から、奏者の肺と口腔から、すでに死んだ作曲者の魂から、それともそれらすべてを遠く距(へだた)ったどこかから?
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。