スキャンダル、悪口、揶揄…そんなものばかり取り上げて、語って、どうするんでしょうか。 また、「いわゆる耳にいい活動」ばかり取り上げて、語って、どうするんでしょうか。 これからは正義の話をしよう。 そんな社会がきっとハッピーだから。
本著で一貫している姿勢は、対立する立場の人間達を過剰に批判したり揶揄したり、ましてや悪口を言ったりしていないところです。
もちろん「欠点の指摘」はあります。対立する立場の人たちの、こういう行為、こういう主張は、違う、ということは書いてあります。
しかしそれは、自分の立場を明確にするために必要不可欠な話であり、欠点の指摘と揶揄や悪口は決定的に違います。
前者は筋道立てて自らの正当性を主張するのに対し、後者は相手の立場を低い位置に意図的に持ち込むことで自分の相対優位を築く行為です。
そして、「欠点の指摘」を堂々とする人…その姿勢の人を、僕は信頼します。
書籍の中で書かれている話は、樋渡市長が市民病院を民間移譲しようとする行為に対し、反対する人や勢力との(ある意味)ドラマです。
言葉だけ見てください。「市民病院の民間移譲」。〝ありがちな”反対論、簡単に思いつきますよね。
・民間になるとサービスレベルが落ちるのでは…
・医療従事者の雇用の確保がままならなくなる恐れが…
・きっとどこかで「カネ」が動くぞ!
でも、これらに共通するのは、「先のことで予測がつかない」「根拠がない」ということ。
「〝市民のための病院”という位置づけの方が聞こえがいい」だけなんです。
しかし、聞こえがいい方に人はなびくもの。これも人として当然の性。
それを100も承知で、市長は民間移譲を推進します。
メリットとデメリットを考えるとメリットが大きいという明確な予測を持ってして。
かつ、当然抵抗勢力が出てきて、その抵抗論は「味方がつきやすい」タイプのものであることまで予測して。。。
ひとえにそれは、武雄市のことを考えて。
僕は本件について勉強不足なので、民間移譲が正しいかどうかはわかりません。
ただ、簡単に反論が予測される行為、しかも自らが厳しい位置に立たされる行為をあえてやってのけること、そして、本著の語り口から、人間、樋渡啓祐氏は信頼できるに足ると思いました。
実際にお会いしてその気持ちはますます高まりました。
先に書いておきますが、だからといって自分が武雄市民だったとき、樋渡氏の判断・決断すべてを推すことはないと思いますよ。
行為への賛成反対と、行為を為す人への信頼は別です。もちろん一部重なりますが。
このような記事を書くとすぐに「樋渡市長は○○のようなことをしている!そんな奴を信頼するのか!」と反論される方に問いたい。
あなたが一番信頼している…例えば親友の行為について、自分が賛成できない時には、堂々と反対しませんか?と。
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