私たちは短期の目標達成に、毎期毎期忙しい。そんな中、何十年という時間軸で成し遂げていくライフワークについて考えたい。誰しもライフワークを見出すことはすでに始まっているのだ。
いずれにせよ、こうした「内発×利他」の次元に動機のベースを置く仕事は、ライフワークたるにふさわしい。こうした人々に限らず、一般の私たち一人一人も例外ではない。それぞれの仕事の道を自分なりに進んでいき、その分野の奥深さを知り、いろいろな人に助けてもらったことへの感謝の念が湧いてきたなら、今度はその恩返しとして、その経験知や仕事の喜びを後進世代に教えることに時間と労力を使う―――それは立派なライフワークになりうる。
◆ライフワークとは「働く・遊ぶを超えて面白いもの」
娯楽は英語で「pastime」。その語のとおり「時間を過ごす(パスする)」という意味だ。労働史の中で娯楽というものが生まれてきた背景は、産業革命以降、工場の生産ラインで働く労働者たちが、その単一的な作業から心身を回復させるために気晴らしの時間を過ごす必要があったことである。いわば労役の裏返しとして「pastime」はあった。
現代でもその構図は変わっていない。目の前の仕事を労役と感じている人ほど、娯楽が必要になる。そしてカラダが疲れていればいるほど、その娯楽は受動的に楽しませてくれる時間つぶしのものになる。「やれやれ、せめてリタイヤ後は趣味でも見つけて穏やかに暮らしたい」―――そう願う人はたくさんいるだろう。
しかし、「毎日が休日というのは、一つの地獄の定義である」と誰かが言ったように、毎日をpastimeしている暮らしは、耐えられないばかりか、やがてその人間をおかしくしてしまうだろう。運動をしない肉体がだらけきってしまい、予期せぬ障害・病状を生むのと同じように。心理学者のフロイトだったと記憶するが、健康に長生きする秘訣の1つに「朝起きたとき、さぁやるぞという仕事があること」をあげていた。
作家の村上龍さんは『無趣味のすすめ』で次のように書いている。―――「趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクを伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している」。
私は趣味を否定するわけではない。私もいろいろ趣味を楽しむほうだ。しかし、快活で健やかな人生の基本はやはり「よく働き・よく遊ぶ」である。そして、ライフワークは(私自身それを見出しているのでよくわかるのだが)、働くよりも面白く、遊ぶよりも面白いものなのだ。ライフワークとは、働くと遊ぶを超えたところで統合された夢中活動と言ってもいい。真剣にやる「道楽」かもしれない。
次のページ◆ライフワークとの出合いはすでに始まっている
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。