私たちは短期の目標達成に、毎期毎期忙しい。そんな中、何十年という時間軸で成し遂げていくライフワークについて考えたい。誰しもライフワークを見出すことはすでに始まっているのだ。
―――「私が十三歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、『何によって憶えられたいかね』と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。『今答えられるとは思わない。でも、五十歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ』」。 (ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』より)
―――「私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も残さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。何を置いて逝こう、金か、事業か、思想か。誰にも遺すことのできる最大遺物、それは勇ましい高尚なる生涯であると思います」。 (内村鑑三『後世への最大遺物』より)
◆ライフワークとは「無尽蔵に湧出するオイルの燃焼」である
ドラッカーと内村は奇しくも人生50年目を重要な時点ととらえた。しかし、使命に目覚めた人間の力は想像を超える。50を超えてもまだまだ生涯を賭した仕事をやるリスタートは可能なのだ。
もともと商人であった伊能忠敬が、測量技術・天文観測の勉学を始めたのは51歳である。そして全国の測量の旅に出たのが56歳。以降、死ぬ間際の72歳まで測量を続けた。没後、彼の正確な計測は、『大日本沿海輿地全図』として結実する。おそらく伊能忠敬の腹の底からは止処もなくオイルが湧き出してきてそれが赫赫と燃え盛っていたに違いない。
ライフワークに没入することは、仕事中毒とはまったく別のものである。仕事中毒は病的な摩耗だ。虚脱がずるずると後を引いて人生を暗くする。しかしライフワークは、健全な献身活動であって、後から後から、エネルギーが湧いてくるのである。ライフワークに勤しむ人は、日に日に新しい感覚でいられる。そしてライフワークに心身を投げ出す人は、たいてい「ピンピンコロリ」である。
……ライフワークは確かにスバラシイ、しかし自分はサラリーマンの身で目の前には組織から命ぜられた仕事が山積している。そんなものを探し出す頭も体も余裕がない。―――たいていの会社人間はこういうだろう。そんな人のために、フェルディナン・シュヴァルという男を次に紹介しよう。
◆ライフワークとは「~馬鹿」と呼ばれること
フェルディナン・シュヴァルは、フランス南部の片田舎村オートリーヴで1867年から29年間、この地域の郵便配達員をした男である。彼の仕事は、来る日も来る日も、16km離れた郵便局まで徒歩で行き、村の住人宛ての郵便物を受け取って、配達をすることだった。
毎日、往復32kmを歩き続けたその13年目、その小さな出来事は起こった。彼は、ソロバン玉が重なったような奇妙な形をした石につまずいたのだ。彼はなぜかその石に取りつかれた。そして、その日以降、配達の途中で変わった石に目をつけ、仕事が終わると石を拾いにいき、自宅の庭先に積み上げるという行為を続ける。
彼は結局、33年間、ひたすら石を積み続け、独特の形をした建造物(宮殿)をこしらえて、この世を去った。彼には建築の知識はまったくなかったが、配達物の中に時おり交じってくる絵葉書などに印刷されたさまざまな建築物を見て、見よう見まねで造ったのだ。
今日、これは「シュヴァルの理想宮」と呼ばれ、観光スポットにもなっている(参考文献:岡谷公二著『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』)。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。