「ジンザイ」には2種類ある。事業組織にとってヒトを“材”として扱うか、“財”として扱うかは大きな違いだ。そして働く1人1人にとっても、自分が“材”になるか“財”になるかは人生・キャリアの大きな分かれ目となる。
「この大事なことを分業にしてしまったのは、やっぱりこうしたほうが便利で早いからですな。早くていいものを作るというのは悪いことではないんです。しかし、早さだけが求められたら、弊害が出ますな。
製材の技術は大変に進歩しています。捻れた木でもまっすぐに挽(ひ)いてしまうことができます。 木の癖(くせ)を隠して製材してしまいますから、見わけるのによっぽど力が必要ですわ。製材の段階で性質が隠されても、そのまま捻れがなくなるわけではありませんからな。必ず木の性質は後で出るんです。それを見越さならんというのは難しいでっせ」。
「そうした木の性格を知るために、木を見に山に入っていったんです。それをやめてどないするかといいましたら、一つは木の性格が出んように合板にしてしまったんですな。合板にして木の癖がどうのこうのといわないようにしてしまったんですわ。木の性質、個性を消してしまったんです。
ところが癖というのはなにも悪いもんやない、使い方なんです。癖のあるものを使うのはやっかいなもんですけど、うまく使ったらそのほうがいいということもありますのや。人間と同じですわ。癖の強いやつほど命も強いという感じですな。癖のない素直な木は弱い。力も弱いし、耐用年数も短いですな。
ほんとなら個性を見抜いて使ってやるほうが強いし長持ちするんですが、個性を大事にするより平均化してしまったほうが仕事はずっと早い。性格を見抜く力もいらん」。
「曲がった木はいらん。捻れた木はいらん。使えないんですからな。そうすると自然に使える木というのが少なくなってきますな。使えない木は悪い木や、必要のない木やというて捨ててしまいますな。これではいくら資源があっても足りなくなりますわ」。
「依頼主が早よう、安うといいますやろ。あと二割ほどかけたら二百年は持ちまっせというても、その二割を惜しむ。その二割引いた値段で「うちは結構です」というんですな。二百年も持たなくて結構ですっていうんですな。千年の木は材にしても千年持つんです。百年やったら百年は少なくても持つ。それを持たんでもいいというんですな。ものを長く持たせる、長く生かすということを忘れてしまっているんですな。
昔はおじいさんが家を建てたらそのとき木を植えましたな。この家は二百年は持つやろ、いま木を植えておいたら二百年後に家を建てるときに、ちょうどいいやろといいましてな。二百年、三百年という時間の感覚がありましたのや」。
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2010.03.20
2015.12.13
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。