「ジンザイ」には2種類ある。事業組織にとってヒトを“材”として扱うか、“財”として扱うかは大きな違いだ。そして働く1人1人にとっても、自分が“材”になるか“財”になるかは人生・キャリアの大きな分かれ目となる。
事業組織は、実に多様な個性をもつヒトの集まりである。1人1人の働き手を、1個1個形の違う石として活かし、事業という建造物を組み立てていくのは、経営者にとって、人事担当者にとって、上司にとって、とても手間がかかるし、煩わしいし、忍耐と根気の要る作業となる。しかし、そうして成就させた事業というのはとても強いものになる。
その一方、働き手を組織の要求する人材スペックの枠にはめ込み、技能・資格を習得させ、ある価値基準に従わせる―――つまりヒトを規格化し、均質化したブロックにすることで、事業目標をスピーディーに効率よく達成させるという方法もある。経営者にとって、人事担当者にとって、上司にとって、働き手をブロックにしたほうが何かと扱いがラクになるのだ。しかし、人びとの関係性は粘りのあるものでなくなり、失うものも多い。
もちろんこの2つは両極の姿であって、実際の組織はこの両極の間のどこかでヒトをある割合「石」ととらえ、ある割合「ブロック」ととらえながら用いていく。組織にとって大事なことは、1人1人の働き手を極力個性ある「石」として活かすことだ。ヒトをいたずらに「ブロック」化して、取っ換え引っ換えやればいいと考える組織は、早晩、ヒトが遠ざかっていく。
また、働き手にとって大事なことは、他と代替のきかない「石・岩」となって輝くことである。決して没個性な「ブロック」になってはいけない。組織にとってブロックは使い勝手がよく、同時に取り換え勝手もいいのだ。
◇ ◇ ◇ 考える材料 =4= 宮大工棟梁の言葉 ◇ ◇ ◇
西岡常一さんは、法隆寺の昭和の大修理(1300年ぶりといわれる)を行った宮大工の棟梁である。『木のいのち木のこころ〈天〉』(草思社)から、彼の言葉を少し長いが引き出してみる。
「口伝に『堂塔建立の用材は木を買わず山を買え』というのがあります。飛鳥建築や白鳳の建築は、棟梁が山に入って木を自分で選定してくるんです。それと『木は生育の方位のままに使え』というのがあります。山の南側の木は細いが強い、北側の木は太いけれども柔らかい、陰で育った木は弱いというように、成育の場所によって木にも性質があるんですな。山で木を見ながら、これはこういう木やからあそこに使おう、これは右に捻(ねじ)れているから左捻れのあの木と組み合わせたらいい、というようなことを見わけるんですな。これは棟梁の大事な仕事でした。
今はこの仕事は材木屋まかせですわ。ですから木を寸法で注文することになります。材質で使うということはなかなか難しくなりましたな。材質を見る目があれば、この木がどんな木か見わけられますが、なかなか難しいですな」。
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2010.03.20
2015.12.13
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。