経営・ビジネスは「数」を追求する。その結果、さまざまな問題も起こってきた。そこに「美」という盾を持ったデザインが教育の角度からひとつの提起をする。
◆デザイン学校がビジネススクールをつくった
経済合理性一辺倒、利得至上の経営・ビジネスに疑義、不信、反省が募る中、経営のあり方、あるいはビジネス人教育の手法として「デザイン」が新しいアプローチを提起している。
今春からデザイン専門学校である桑沢デザイン研究所が、『STRAMD スーパー戦略デザイン経営専攻』という新しいコースをスタートさせた。グラフィックデザイン界の大御所的な存在である中西元男氏や内田繁氏が中心となって開設したもので、触れこみとしては、デザイン学校がつくったニュービジネススクールだ。
ビジネス・経営の教育は何もMBAを与える経営学大学院に限ったことではない。アート・デザインの分野から経営を学ばせることもおおいにありである。経営学の教育にどっぷり浸かった人間たちがマネジメントを占有するのではなく、アート・デザインをバックグランドにした人間たちがマネジメント層に進出してくることで、ビジネス・経営は新しい展開をみせるだろうし、現況の偏った流れを修正できる可能性も出てくる。
ダニエル・ピンクは、2005年に出した著書『ハイコンセプト~「新しいこと」を考え出す人の時代』(原題:“A Whole New Mind”)でまさにそのことを論じていて、今後、アートやデザインの感覚・能力を持った者こそがビジネス現場で重要な役割を演じると主張する。なぜなら、「情報の時代」はすでに「コンセプトの時代」に入っており、この時代には左脳主導ではなく、右脳主導による新しい事業・商品・サービスの創造こそが重要になるからだ。ピンク氏はその鍵となる「6つの感性」を次のようにあげている。
1)機能だけなく「デザイン」
2)論議よりは「物語」
3)個別よりも「全体の調和」
4)論理ではなく「共感」
5)まじめだけでなく「遊び心」
6)モノよりも「生きがい」
……確かに、これらは経済・経営・商学系の教育では直接的に教えない要素ばかりだ。その一方、これらはアート・デザイン系の教育とは直接的に馴染みやすいものである。
デザインとは、狭義には「意匠」(=装飾的考案)であるが、いまではその意味が相当に広がりをみせている。ちなみに1989年「デザインイヤー基本構想」に記された定義は次のようなものである。
「『デザイン』とは、人間の創造力、構想力をもって生活、産業、環境に働きかけ、その改善を図る営みと要約できます。つまり、人間の幸せという大きな目的のもとに、想像力、構想力を駆使し、私たちの周囲に働きかけ、様々な関係を調整する行為を総称して『デザイン』と呼んでいます。従って、『デザイン』は、私たちの日常生活を支える基本的な思想であると同時に、生活を基軸として技術、産業、地域、社会、国際社会を結ぶ重要なきずなとしての役割を果たすことが期待されているといえましょう」。―――(「89年デザインイヤー基本構想」デザインイヤー・フォーラム事務局編)
デザインをこのような営みととらえれば、デザインはもはやデザイナー、アーティスト、建築家だけの専門作業ではない。1人1人のビジネスパーソン、1人1人の経営者、1社1社の企業が行うべき創造的挑戦である。
次のページ◆「数」の偏重を「美」はどう変えることができるか
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
関連記事
2010.03.20
2015.12.13
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。