「自分が変われば、環境が変わる」「環境が変わんなきゃ、自分は変われない」―――この2つはどちらも真実だ。前者に強く意識を置くのは「能動・主体の人」である。一方、後者を強く感じる人は「受動・反応の人」である。
自分と環境・運命は、図のようにニワトリが先かタマゴが先かという後先のつかない関係になっていて互いに因果の連鎖でぐるぐる回っている。このとき、「自分→環境・運命」の影響方向を強く意識するか、それとも「環境・運命→自分」の方向を強く意識するか―――これはどちらが正解/不正解というものではないが、どちらを主にして腹に据えるかは、長い人生を送るにあたって極めて重要な一点である。
◆変化の起点を自分に置くか自分の外に置くか
因果の環において、「自分→環境・運命」の方向を強く意識することは、言い換えれば、変化の起点を常に自分に置くことである。逆に、「環境・運命→自分」の方向を強く意識することは、変化の起点を自分の外に置くことだ。この起点の置き方の違いは、人間を2種類に分ける。前者を「能動・主体の人」と呼び、後者を「受動・反応の人」と呼ぶことにしよう。具体的には―――
【能動・主体の人】
○状況はどうあれ他者や環境への働きかけはまず自分から起こすという意識を持つ。
○ゼロをイチにする仕掛けをやってみて、周りにどんな影響が出るかを待つ。
そして、周りから返ってきたものを刺激にして、またみずから仕掛けていく。
この繰り返しのなかで、自分の方向性を修正したり、確信を深めたりしていく。
○口グセは、「変わんなきゃ変わんない」、「ここまでやった自分に納得」、
「人事を尽くして天命を待つ」等々。
【受動・反応の人】
○自分が変わるきっかけをいつも他者や環境、運命といったものに期待する。
○いったん起きた出来事に対して一喜一憂し、どう反応すればいいかに気をもむ。
○口グセは、「環境がこんなだから」、「あの上司さえ代わってくれれば」、
「自分には運がないので」、「自分の居場所はこんなところじゃない」等々。
◆「いま・ここの自分」がすべての出発点
「能動・主体の人」は、自分の過去がどうあれ、自分をどう活かすも、また未来をどうつくるも、すべてその出発点は「いま・ここの自分」にあると考える。その意識を見事に表したのが、米プロ野球メジャーリーガー松井秀喜選手を育てた星陵高校野球部の部室に貼ってあるという指導書きである(山下智茂監督の言葉)。
「心が変われば行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」。
これをイメージ化したのが下図である。
この図は、自分を取り巻く環境や外界で起きるさまざまな出来事、そして降りかかる運命は、「いま・ここの自分」の一念と地続きであることを示している。
確かに振り返ってみればわかるとおり、現時点での自分の環境や運命は、決して偶然そうなったわけではない。これまでの過去において、意図するしないにかかわらず、自分が何らかの選択や行動をしてきた蓄積結果として現れているものだ。私たちは、実は瞬間瞬間に選択を重ねてきた。「いや、特段心を決めて選択したわけでもない」と言う人もいるかもしれないが、それは「心を決めずに事をやり過ごす」という選択をしたのだ。
働いていくこと、生きていくことは、どのみちしんどいものだ。しかし、人はそのしんどさの質を選ぶことができる。「受動・反応的」に日々を送り過ごすことは、ある意味、ラクではあるが、環境に振り回されるしんどさを味わう上に、自分の行き先がどんどん流されていくという不安も背負い込む。他方、「能動・主体的」に働きかけていくことは、行動を仕掛けるしんどさはあるが、自分の方向がどんどん見えてくる面白さがある。
どのみちしんどいのであれば、あなたはどちらを選びますか?―――その問いはすなわち「いま・ここの自分」をどう変えていきますか、ということにほかならない。すべての人にとって、「いま・ここの自分」は、その瞬間以降の人生の大きな分岐点であり、出発点となる。常に一瞬一瞬を「能動・主体的」に生きる人は、最終的に自分の想う方向にひらいていくことができ、生涯を通じて若い。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。