ネット証券の草分け的な男として活躍してきた、マネックス証券の松本大社長。米経済誌『フォーチュン』で「次世代を担う世界の若手経営者25人」の1人に選ばれた男は、どのような人生を歩んできたのだろうか。 [土肥義則,Business Media 誠]
35歳のときに、マネックス証券を設立
――ゴールドマン・サックスを辞めた松本はすぐに、東京神田にある企業の1室を借りて、オンライン証券の準備をスタート。そして1999年4月、わずか4人でマネックス証券を立ち上げた。35歳のときだった。
それまでのボクはソロモン・ブラザーズ・アジア証券とゴールドマン・サックス証券という、いわば世界を代表する企業で働いてきました。いま振り返ってみると、会社が用意してくれたフェラーリのオートマチック車を運転していたのかもしれません。フェラーリを運転しているので確かにスピードは速かったかもしれませんが、ただアクセルを踏んでいただけ。巨大な組織からスピンアウトすれば、自分で用意したマニュアル車を運転しなけばいけません。例えば会社の電話代にしても、家の電話のように契約できませんでした。いろいろと探してみて、NTT提携のクレジットカードを作って、ようやく後払いで支払うことができました。
また国内に出張するとき、ゴールドマン・サックス時代にお付き合いをしていた旅行代理店の担当者にチケットの手配をお願いしました。ゴールドマン・サックスで働いているときは、夕方から急にニューヨークへ行くことになっても、その担当者がチケットを持ってきてくれました。もちろん支払いは後払い。しかしマネックス証券を立ち上げたときは、大阪に行くのでも現金前払いを請求されました(笑)。ベンチャー企業の信用が低い時代ではありましたが、そのとき「自分の力で設立した会社というのは、個人よりも信用は低いんだ」と感じましたね。
それまでのボクはいろんなことに守られて生きてきましたが、起業したことで、すべて自分で立たなければいけない立場になりました。自分で立ち、自分で支払い、自分で稼ぎ、自分でお金を借りて、自分で稼ぎ、自分で返済して――。自分たちでやらなければいけない、このことの繰り返しでした。当時、ボクのカバンの中には「マネックス証券」と書いてあるティッシュが、たくさん入っていました。どこに行っても、誰に会っても、そのティッシュを配っていましたね。
先に対する不安ですか? ボクはなかったですね。ただ一緒にやってきた工藤(現・副社長)はずっと心配だったようです(笑)。なぜボクは楽観的にいられたかというと、帰納法的に考えて、オンライン証券は絶対に必要だと思っていましたから。またこのビジネスを展開するには大企業よりも、自分たちのような小さな会社の方がうまくいくと思っていました。そのときの社会的な環境を考えると、自分たちの方があっていると思っていましたね。
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マネックス・ビーンズ・ホールディングス 松本大氏
2010.07.24
2010.07.16