茶の間からサッカー日本代表の決定力不足を指摘することは簡単だ。しかし、このことは日本人全体に投げかけられる「創造的逸脱力の弱さ」問題なのだ。
そういえばその昔、『WiLL』という共同ブランドプロジェクトがあった。トヨタ自動車や花王、アサヒビール、松下電器産業(現パナソニック)、近畿日本ツーリストなど錚々たる企業が取り組んだが、案の定、うまくいかなかった。取り組みには敬意を表したいが、ビジネスにおける協働は、いかんせん損得勘定や立場の違いが壁となる。
結局のところ、複数の手による即興芸術の要は、エヴァンスの指摘するように「the common result(共通の結果)」に対する「sympathy(共感)」なのだ。しかし、そのsympathyという言葉の美しさとは対照的に、実際メンバーたちがやっていることは“殴り合い”である。
というのも、例えば『Kind of Blue』の演奏収録において、指揮者はいない。もちろんマイルスはリーダー的な存在だが、いざ演奏が始まれば彼はトランペットの演奏に集中するだけで、他のプレイヤーにどうやれこうやれとは指図などしない。他も同じだ。あるのは、音が現在進行形で弾き出されていく中で、各プレイヤーが、ときにキーやコードを“創造的に逸脱”して、他のプレイヤーに仕掛けたり呼び込んだり、その研ぎ澄まされた感性の殴り合いなのだ。
しかもマイルスは、何を演奏するかを示唆した“草案(sketches)”を本番収録の数時間前に持参しただけである。どの曲もいまだかつて完奏されたことがないものだ。そこには事前の熟考や擦り合わせ、事後の塗り重ねなどない。出たとこ勝負の掛け合いである。
ジャズや書は言ってみれば「ハイリスク・ハイリターン」の創作である。神がかり的な名作が生まれ出る一方、駄作も山積みされる。それに対し交響曲演奏や油絵は「ローリスク・シュア(手堅い)リターン」かもしれない。リハーサル練習や下書きなどによって失敗のリスクを減らし、完成状態に目途をつけ、創作がスタートする。
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いま日本の働き手に強く求められるのは、ジャズ的な即興的創造の力ではないか。即興的創造の力で重要になってくるのは、次の3つである。①創造を司る基本技術の習熟、②逸脱の勇気、③個のスタイルを貫通させる意志。
日本人が主としてやっている働き方は、「組織の力で没個性的に、型にはめて、枠の中で、根回しをして、中心者に従いながら」である。それは、ジャズ的な即興創造とは反対のものばかりである。
折しもW杯サッカー(南アフリカ大会)がたけなわだが、ほんとうに強いチームというのは、例えばブラジルとかイタリアとか、あるいは組織的と言われるドイツでさえも、このジャズ的な即興的創造の力によって、最終的に勝利をつかみ取る。
現代サッカーは、戦略・戦術の研究、データの分析などによって相手のよいところを消し、守備的にはどこも互角に戦えるようにはなってきている。しかし、最後、試合に勝つためには誰かが球をゴールに突き刺さねばならない。組織で固めたセオリーをどこかで破る個の動きこそ試合の分岐点をつくるのだ。
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2010.03.20
2015.12.13
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。