コンピュータソフトといえば、自社専用に開発するもの。そんな認識が主流だった日本に、本格的なパッケージソフトを持ち込み、普及を促したのがビル・トッテン社長率いるアシスト社だ。同社成長の歩みは、日本のパッケージソフト市場成長の歩みでもある。
実際アシスト社には企画部門がないのだという。ということは自社でオリジナルソフトを開発したこともないのだろうか。
「ソフトを自社開発したことは何回もあります。けれど、見事なくらい毎回失敗しました。損失を計算すれば10億以上にもなるんじゃないですか。失敗を重ねて気づいたのです。出版社が、どうして自社の社員に原稿を書かせようとしないのかに」
▲アシスト社の社内組織図
優れた書き手は自社に抱えずとも、世の中にいくらでもいるのだ。これをソフト業界に当てはめるなら、開発者や開発企業はいくらでもあるということ。そして一方には、さまざまなソフトを求める顧客がいる。そこに欠けているのはマッチングである。
「だから我々はお客様からひたすら話を聞く、聞くことに徹します。話を聞いて問題点を特定することさえできれば、後はその問題を解消できるソフトを探してくればいい」
買ってくれなくていいから、とにかく話を聞かせて欲しいとアポを取る。営業マンなら1週間に最低15件は顧客を訪問する。顧客と会うことができれば、一心に話を聞く。こうしたアシスト社の営業手法は、いずれもトッテン氏が実践して編み出してきたものだ。
「話を聞き、ベストな製品を提案する。加えて我々が心がけているのは導入前のコンサルティングや教育と、導入後のサポートです。コンサルティングといっても、一般的なコンサルティングとは異なり、あくまでもソフト導入に関して。たとえばデータの持ち方はどうすればいいかという話です」
そしてサポートである。同社のサポートは丁寧かつ迅速な対応で知られている。トラブルがあると何はさておき顧客のところに駆けつける。時間ギリギリまで現場で問題を詰める。然る後に、当時の開発会社はすべてアメリカだったので、時差を利用して日本時間の深夜の間に開発会社に連絡を取り、次の日までには解決策をひねり出す。
「ユーザーニーズに応えてこそ商売になる。お客様が求めるものを提供すれば、必ず成功する。これがビジネスの鉄則じゃないでしょうか」
70年代半ばに同社は、簡易言語でのヒット商品『Easytrieve』を発売、80年代にかけて国内パッケージソフト市場で押しも押されもしないリーダーへと成長する。そして80年代初頭からは毎年、ほぼ倍々ゲームの勢いで成長していくことになる。
⇒次回最終回
「人を大切に、女性を活用する会社」へ続く(全四回)
『株式会社アシスト 関連リンク』
株式会社アシスト HP:http://www.ashisuto.co.jp/
代表取締役ビル・トッテン氏コラム:http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/
◇インタビュー:竹林篤実/坂口健治 ◇構成:竹林篤実
◇フォトグラファー:村山裕章 ◇撮影協力:ピクスタ㈱
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FMO第34弾【株式会社アシスト】
2010.05.20
2010.05.13
2010.05.06
2010.04.30