文芸にせよ、アートにせよ、音楽、映画せよ、「作品が小粒化している」とはよく聞かれるフレーズだ。私たちは技術の進化とは逆に、「おおきな作品」からどんどん遠ざかっているように思える……
もちろん、ここで言う霊感、宗教心、哲学心というのは、
オカルト的な感応や特定の宗派のドグマに支配される心を指していない。
また難解な哲学書とにらめっこすることでもない。
自然の摂理とつながりを感じようとする、
生きることの根源を探ろうとする、
そういう「おおいなる希求心」「おおいなるセンス・オブ・ワンダー」のことだ。
再び、ゲーテの言葉―――
「人間は、宗教的である間だけ、文学と芸術において生産的である」。
彫刻家ロダンの言葉―――
「若し宗教が存在していなかったら、
私は其を作り出す必要があったでしょう。
真の藝術家は、要するに、人間の中の一番宗教的な人間です」。
(高村光太郎著『ロダンの言葉』より)
もうひとつ、柳宗悦の言葉―――
「実用的な品物に美しさが見られるのは、
背後にかかる法則が働いているためであります。
これを他力の美しさと呼んでもよいでありましょう。
他力というのは人間を超えた力を指すのであります。
自然だとか伝統だとか理法だとか呼ぶものは、
凡(すべ)てかかる大きな他力であります。
かかることへの従順さこそは、
かえって美を生む大きな原因となるのであります。
なぜなら他力に任せきる時、新たな自由の中に入るからであります。
これに反し人間の自由を言い張る時、
多くの場合新たな不自由を嘗(な)めるでありましょう。
自力に立つ美術品で本当によい作品が少ないのは
この理由によるためであります」。
(『手仕事の日本』より)
* * *
技術文明を享受しながら、なおかつ、宗教的な心・哲学の心を失わず
おおきな作品を生み出す豊穣な社会を築くことができるのか―――
これは21世紀の私たちに課されたそれこそ「おおきなチャレンジ」だ。
最近、「世界文学全集」を編集した作家の池澤夏樹さんは、
現代に書かれている小説の中で、将来古典的な名作になるだろうものがあるとすれば、
ポストコロニアリズム(例えばアフリカや中南米の国々に起こる植民地支配以降の主義)か、
フェミニズムから生まれるのではないかという指摘をされていた。
面白い指摘だと思う。確かにこの2つを考えたとき、
その内から噴き出す無垢なマグマと、技術の恩恵とが掛け合わされば、
「おおきな何か」が誰かの手によって表現される可能性はじゅうぶんにある。
ともかくも電子書籍は元年を迎えた。
間もなくアップル社は日本での『iPad』発売を開始するし、
アマゾン社も『Kindle』の日本語版セルフパブリッシングツールを早晩準備するにちがいない。
私たちは情報量が爆発するなかで、いまや
ほぼ無尽蔵に情報・表現を摂取でき、
ほぼ無尽蔵に情報・表現を放つ(垂れ流す)ことができる。
技術革新は人間にいろいろなものを解放してくれるが、
それによって、逆説的に人間は創造性を去勢されることも起こりうる。
技術が「おおきな作品」を生む真に有益な手段となるためには、
結局のところ、私たち1人1人が、
いかに宗教的な心・哲学の心を呼び覚ますか―――にかかっている。
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2008.09.26
2010.04.20
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。