コンピュータソフトといえば、自社専用に開発するもの。そんな認識が主流だった日本に、本格的なパッケージソフトを持ち込み、普及を促したのがビル・トッテン社長率いるアシスト社だ。同社成長の歩みは、日本のパッケージソフト市場成長の歩みでもある。
「営業を始めてから数ヶ月、経費だけは2000万円ぐらい使っていたでしょうか。ところが一向に売れない。永妻さんの会社でもほかの役員から撤退の声が出てきた。結局僕が独立して扱うことになったのです」
1972年、トッテン氏率いる株式会社アシストが設立される。社員数名の小さな会社で売上実績ゼロ、しかし売り込み先だけは超一流の大企業ばかりだった。先頭に立ってセールスを引っ張ったのはトッテン氏である。
「努力の甲斐あってようやく買ってくれたのはシェル石油でした。イギリスとオランダによる100%出資の外資系企業で、海外のグループ会社はすでにパッケージソフトを導入済み、だから私の提案に対しても抵抗感がなかったのです。とはいえ乗り越えるべき大きな問題が一つありました。彼らが海外の支部で導入していたのは『MARK IV』だったのです」
もしグローバル化が進んだ現在のように世界中がネットワークでつながれていれば、同じ企業グループ内で異なるソフトを採用することはまず考えられなかっただろう。しかし、幸いにもまだインターネットはなく、時代がトッテン氏に味方した。
「僕の話を、シェル石油の若い日本人がじっくり聞いてくれました。彼らは『ASI-ST』についていろいろ調べて、上司を熱心に説得してくれました。これが効いたのです」
トップセールスに励む傍らでトッテン氏は、パッケージソフトの啓蒙活動にも精を出した。ガートナーレポートやインプットなどの調査会社のレポートや、アメリカのIT関連の書籍や雑誌記事などを日本の顧客企業向けに翻訳して、自分の解説をつけて、「アシスト・メモ」として提供していった。
「シェルから契約が取れた実績は大きくものを言いました。引き続いて明治生命、神戸製鋼、などが採用してくれたのです」
海外では『MARK IV』を使っているシェルが、日本に限ってはわざわざ『ASI-ST』を採用した。この実績がアシスト社にとって強力なセールスポイントとなった。日本には存在すらしなかったパッケージソフト市場の開拓者として、トッテン氏率いるアシスト社は、少しずつではあるけれども、着実な成長を始めたのだ。
⇒次回「答えはお客様が知っている」へ続く(全四回)
『株式会社アシスト 関連リンク』
株式会社アシスト HP:http://www.ashisuto.co.jp/
代表取締役ビル・トッテン氏コラム:http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/
◇インタビュー:竹林篤実/坂口健治 ◇構成:竹林篤実
◇フォトグラファー:村山裕章 ◇撮影協力:ピクスタ㈱
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FMO第34弾【株式会社アシスト】
2010.05.20
2010.05.13
2010.05.06
2010.04.30