人気が低ければ、数年後に、あたなの母校もなくなるかもしれない。橋下徹知事の主導のもと、大阪府でいよいよ今年から高校改革が本格化する。高校間の競争を煽る今回の改革を私は画期的なものだと思っているが、懸念材料もある。少々、覚書として書いておきたい。
サービス業と教育サービス業の違いを無視して、学校間の自由競争を行なうのであれば、日本の人的資本の育成は、どうしようもないほど衰退し、低水準に甘んじることになるに違いない。
サービス業と教育サービス業の基本的な差異は、指導性があるかどうかということだ。たとえば、居酒屋さんでお客から注文を受けたものに対して、サービス提供者は、メニューにあるものであれば、基本的には何でも注文に応じる。それに対して、教育サービス業は、そういう注文がお客の不利益(健康に悪い、食べ合わせが悪いなど)になると考えれば、その注文に応じることはしない。お客の注文に指導を入れ、お客の不利益にならないようにしていくのだ。
ここにサービス業と教育サービス業の根本的な違いがある。要はお客(生徒・保護者)への迎合主義に教育が堕落していくようになったら、大変だということだ。
有名大学への合格率という価値観
もう一つ、心配なことがある。それは、自由競争を促すということは、画一的な価値観が、学校選択の中で支配する可能性があるということである。
学校制度の本質的な機能が、「管理」と「選抜」だとすれば、選抜の方向へシフトし、上位学校(有名大学)への合格率という価値観にに全ての高校が向かおうとしないかということだ。多様な志向を持った人間の受け皿としての学校が消えていってしまうのではないかという懸念である。
学校で学ぶことが、教科内容だけになってしまい、子どもの成長を保証しないような学校ばかりが、増えるのは、大きな問題だと思う。
競争は、画一的な価値観を生む。これは、人間の歴史が証明しているところだ。生徒集めのためだけの迎合主義的な施策が、高校で行なわれないとも限らない。そうならないようにしてほしいと願っている。
学校の、教師の、意識を変える必要があることは、重々承知しているが(私もある学校法人の理事としてそのことは痛切に感じている)、その仕掛けとして、今回のことが考えられているとすれば、それは、大きな間違いを引き起こしかねない。
私は学習塾出身なので、敢えて言うが、学校は、巷にある学習塾とは全く違う機能を持っているのだ。同じように考えてしまってはいけない。学習塾の中心には、学力がついて回るが、学校の中心には、学力だけではなく、総合的な能力(人間力)がついて回るのだ。
そのことを意識した学校制度改革にしなければならないように思う。
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2015.07.17
2009.10.31
合資会社 マネジメント・ブレイン・アソシエイツ 代表
1961年、神奈川県横浜市生まれ。 現在、合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表。 NPO法人 ピースコミュニケーション研究所理事長。