「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」ではありませんが、疲れを吹き飛ばすためには「疲労」とは一体何であるかを理解する必要がある・・・ということで、前回は筋肉の疲労(筋疲労)についてエネルギー源の枯渇という側面から考察してみましたが、今回はまた別の視点から疲労について考察してみたいと思います。
お疲れ気味の人が多い現代社会。「疲れを吹き飛ばし、いつもイキイキとしていたい!」そう考えている人も多いことでしょう。
「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」ではありませんが、疲れを吹き飛ばすためには「疲労」とは一体何であるかを理解する必要がある・・・ということで、前回は筋肉の疲労(筋疲労)についてエネルギー源の枯渇という側面から考察してみましたが、今回はまた別の視点から疲労について考察してみたいと思います。
■疲労と疲労感
疲労とは人間に限らず長時間の継続的使用によって本来の機能が低下する現象を意味していることは前回お伝えした通りですが、木谷(大阪大学)名誉教授は「過度の肉体的、精神的な活動により生じた独特の病的不快感と休養を求める欲求を伴う身体および精神機能の減退状態」を疲労と定義しています。
ここで「病的不快感と休養を求める欲求」というキーワードが出てきますが、「病的不快感と休養を求める欲求」とは一般的に「疲労感(=疲れたという感じ)」として認識されているものであり、疲労感は疲労を構成する要因の一つであるとされています。
つまり、「疲労」状態を呈する場合には疲労感を伴う、あるいは疲労は疲労感によって引き起こされるという訳ですが、疲労感と疲労とは必ずしも一致していないとされています。
例えば、筋肉等の末梢器官が生理的には疲労している状態にあっても疲労感を感じていないこともあれば、疲労感を感じていても筋肉等の末梢器官が生理的には疲労状態にない場合もあるということです。
そのような視点で考えれば、昔からよく聞く「気合が足りないから疲れるのだ」という言葉は真でもあり偽りでもあるということになる訳ですが、疲労感を感じている状態では運動が抑制されることが明らかにされており、いずれにしても脳が疲れを感じているのであれば、その人は疲労していることに他ならないといっても過言ではありません。
従って、疲労感は疲労(状態)を引き起こす重要な要素、要因であるといえるでしょう。
しかしながら、疲労感を客観的に定量化する方法はいまだ確立されている訳ではなく、また疲労感には個人差がみられることから、疲労感は精神面の問題であると考えられていることも少なくありません。
■疲労感を測定するには
そこで、現在では疲労感を定量化する方法を確立するために様々な研究が行われています。
例えば、疲労を感じる器官は脳であることから脳内で分泌される物質を疲労感のマーカーとして測定することで疲労感を定量化することが可能であると考えられており、現在、様々な研究が行われています。
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