世間が決めたいい山に登るだけが能ではない。当初は何も見えない景色の中に「自分の登るべき山」を見出し登頂するのが最高のキャリア能である。
◇ ◇ ◇ ◇
キャリアづくりにおける選択肢や出来事には、あらかじめの正解値はない。
その後の行動で、それを結果的に「正しかった」と確信できる状況にできるかどうか
―――それこそが最重要の問題なのです。
アメリカンフットボールの名コーチとして知られるルー・ホルツはこう言いました。
「人生とは、10%の我が身に起こること。
そして残り90%はそれにどう対応するかだ」。
もうひとつ、画家パブロ・ピカソの言葉―――
「着想は単なる出発点にすぎない
着想を、それがぼくの心に浮かんだとおりに定着できることは稀なのだ。
仕事にとりかかるや否や、別のものがぼくの画筆の下から浮かびあがるのだ。
・・・描こうとするものを知るには描きはじめねばならない」。
私はここで絶対的な目標を立てるな、全ては柔軟的であれと言って、
「意図的につくりにいくキャリア」の欠点だけを強調するつもりはありません。
ひとつ決めた道を何が何でもやり遂げるという生き方は素晴らしいものです。
逆に「結果的にできてしまうキャリア」を偏って肯定すると
今度は漂流するキャリアという現象をまねく危険性が出てきます。
私が本記事で主張したいことは、
・各自が「自分の登るべき山」をもつことは必須である
・しかし「自分の登るべき山」はそれひとつのみではないかもしれない
・キャリアを拓くためのもっとも重要な力は「状況を創出するたくましさ」である
(計画する力は二の次のものである)
・状況を創出しようと奮闘する過程で見えてくる山が真の山であることが多い
・そう構えれば「自分の登るべき山」はそこかしこに無限に存在する
・そして死ぬ間際に「自分の登った山」(ひとつかもしれないし、複数かもしれない)を
充実をもって振り返る
――それが「幸せのキャリア」(「成功のキャリア」ではない!)である
◇ ◇ ◇ ◇
最後に理解の補足・おさらいとして、図を加えます。
図2をみてください。
あなたは、キャリアの途上で、当初目指したD山もZ山も登頂がかなわずに
(それは意志・努力が足りなかったのか、運命のいたずらなのか分からないが)、
P点に落ちてしまった(P点に退く形にしかならなかった)。
あなたはともかく気落ちしています。
さて、あなたはもうこの世に登るべき山など見出せないのでしょうか?
これまで果たせなかったD山やZ山を恨めしく思いながら生きていくのでしょうか?
もう山なんぞこりごりだと言って適当に自分をごまかして過ごしていくのでしょうか?
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【キャリアを開く/拓く/啓くということ】
2009.11.23
2009.10.26
2009.10.11
2009.09.25
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。