論理と感情の矛盾~「身内」という感覚

2009.08.10

ライフ・ソーシャル

論理と感情の矛盾~「身内」という感覚

寺西 隆行
(株)Z会

酒井法子逮捕の事件が連日新聞やインターネットを賑わせていますね。

なんでこんな感情になるのか…と、ちょっと考えてみたんですけど、芸能人に対しては「身内感」が起きやすいからではないでしょうか。
「清楚な言動をしているあの子だから、許してやればきっとまたエンターテイメントを提供してくれる…」そんな感情。
友人がブログであげた「教師」や「公務員」「政治家」が、読者のあなたにとって「今までお世話になった人」「一生懸命活動してきたことを知っている人」、そして何よりも「苦楽をともにした身内」であれば、きっと同じ感情を持つんではないでしょうかね。

ただ、芸能人が「特別」なのは、全然身内でもないにも関わらず、「身内感」を抱きやすい、そんなカテゴリに属する人たちだ、ということも、同時にわかります。

今回の事例を通じて。

人間は「論理」と「感情」が矛盾することがあるんだな、と感じました。
それはとくに「身内」の例ではそうなるよね、ということも感じました。

そして、それが「人間」でもあるんじゃないかな、とも感じました。
だから「論理」と「感情」が矛盾する言動を他人がとっても、「まあええやん」と思ってあげる受容性を、子ども達への教育を通じて培っていくことも大切なことだな、とも感じました。

「正しい」「正しくない」といった、形式的なことばかりを教えるのではなくて。
注)酒井法子を「まあええやん」と思うことを「受容性」と言っているわけではありませんので…誤解なく。

一方で、「論理」と「感情」が異なっている人自身が、そのこと自体を正当化し、「自分が間違っているのは分かる!だけどどうしても~してほしい!」と強く主張するのも、これまた違いますよね。

右脳は「感性」、左脳は「論理性」と言われていますよね。
まさにこの、脳の左右がぶつかり合って矛盾となることを感じてしまいました。
そして、蛇足ですが、酒井法子がほんとうの身内だったら、こんな冷静に文章で書けていないほど、感情が先になるだろうな…とも(苦笑)

注)逮捕状を請求する前は「酒井法子さん」、容疑者になってからは呼び捨てあるいは「酒井法子容疑者」と一瞬で変わってしまう「形式」にはほどほどうんざりですし(仕方がないところもあるのでしょうが)、僕の書き物では芸能人も「さん」づけで書くことが多いのですが、ここでは「形式」とのバランスをとり、かつ「芸能人はニュースになるとき呼び捨てが多い」という通例に従って、本記事では呼び捨てでの表現にさせていただきました。

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寺西 隆行

寺西 隆行

(株)Z会

文部科学省広報戦略アドバイザー 経済産業省「未来の教室」教育・広報アドバイザー 三島市GIGAスクール推進アドバイザー 等

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