2009.06.07
“なぜなぜくん”だけでは欲求は満たされない
寺西 隆行
(株)Z会
最近の新入社員には「なぜこんな仕事やらなきゃいけないんですか」「この仕事の意味はなんですか」と聞く方が多いそうですね。 ちょっと待った。その前に。
言えないのであれば、短期的には安全欲求や所属と愛の欲求を満たしているかもしれませんが、中長期的には満たしていない、という見方ができますよね。
だったら承認の欲求“だけ”が先にでる物の言い方や態度は改めるべきなんです。
食うのに困らないのはなぜか―
日本社会を作ってきた先人たちのおかげであり、国際社会でもまだなんとか比較優位にあるという現実のおかげでしょう。
集団に属せているのは誰のおかげかー
会社のおかげでしょ?
あるいは、「1回雇うとなかなか解雇できない」日本の法体制や風土があるからでしょ?
理由を求めるあなた自身が満たした欲求ではなく、外部環境により作られている、それだけなんです。
そして、作られたものは、外部環境の変化により崩れます。
そのときでもあなたは、まだ「なぜ」を求めますか?
仕事に「なぜ」を求める前に、まずはひたむきにやってみましょう。
自分の経験では、ほぼ8、9割型、自らが「意味づけ」をしていけば意味のある仕事になります。
つまりは、「なぜ」に解を作るのは自分自身ということです。
もっとも、ひたむきにやってもまったく「なぜ」がわからない「無駄な労働」というのもゼロとはいえませんけど(苦笑)、それは「ひたむきにやっていない」状態で無駄と判断してはいけないんですよね。
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